📖 ゼカリヤ書 13:1–9 〈 清めの泉、恵みによって新しくされる共同体 〉
📖 ゼカリヤ書 13:1–9 〈 清めの泉、恵みによって新しくされる共同体 〉
1 その日には、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを清める泉が開かれる。
✨ 恵みの泉が開かれる
ゼカリヤは、「罪と汚れを清める泉」が開かれると宣言しています。この泉は、キリストの十字架から流れ出た血潮を象徴しています。人間の努力や儀式によっては、決して罪を洗い流すことはできません。「その日」(1節)とは、神ご自身が贖いの御業を成し遂げられる日であり、ただ恵みによって(Sola Gratia)開かれる救いの日です。
この泉は、罪人を罪に定めるためではなく、清めるために与えられた神のあわれみの象徴です。ゼカリヤの預言は、福音の中心、すなわち恵みの源を指し示しています。
✨ 偶像を除き、偽りを断つ
2節以降で、神はイスラエルの中から偶像と偽りの預言を取り除かれると語られます。これは、神の民が聖なる共同体として回復される過程を意味しています。偽りはいつも人間中心の信仰から始まり、真の回復は御言葉中心に立ち返る時に起こります。
ゼカリヤの時代と同じように、今日の教会も福音以外のものに頼るとき、再び堕落の道に進んでしまいます。しかし、福音の泉に戻るとき、神は新しい心と新しい霊を注ぎ、共同体を清めてくださいます。
✨ 火のような練り清めを通る民
9節で神は、「わたしはその三分の一を火の中に投げ入れ、銀のように精錬し、金のように試みる」と語られます。神は民を苦しみに捨てられるのではなく、清めるために練られます。これは「聖化(Sanctification)」の過程であり、救いは一度の出来事ではなく、聖霊の働きによって一生続く聖さへの旅です。
苦難の中でも神の目的は一つです。「彼らは『主こそ私の神』と言い、主は『彼らはわたしの民である』と言われる」(9節)。
この約束は、回復された契約関係の宣言です。神は私たちの失敗を終わりとせず、火の中を通して新しく造り変えてくださる方です。
🙏 祈り
主よ、私たちの罪と偽りを洗い清める清めの泉を開いてくださり感謝します。
私たちの義ではなく、主の血潮によって清くしてください。
苦しみの中でも、主の練り清めによってさらに聖くされるよう助けてください。
この地においても、まだ福音を知らない人々が、この恵みの泉に出会い、真の回心を得るよう導いてください。
💡 黙想のポイント
ゼカリヤの「泉」は、イエス・キリストの十字架から流れ出た恵みの象徴です。真の悔い改めと聖さは、聖霊の働きによってのみ可能です。試練は裁きではなく、神が清めるために用いられる恵みの道具です。
🔍 適用
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自分の中にある「偽りの信仰」—すなわち、福音よりも自分の努力や業績を優先していないかを省みましょう。
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日々の苦難の中でも、神があなたを清めておられる御手であることを思い出しましょう。
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まだ福音を聞いたことのない人々のために祈り、この恵みの泉を伝える器として用いられましょう。
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