📖 ヨシュア記 9:1-15 〈 だまされない信仰、みことばに結ばれた契約 〉

📖 ヨシュア記 9:1-15 〈 だまされない信仰、みことばに結ばれた契約 〉

15 そこでヨシュアは彼らと講和を結び、彼らを生かしておくという契約を結んだ。会衆の長たちは彼らに誓った。


みことばの前で、分別を失うとき

ヨシュアは連勝の後、ギブオン人が持ってきた「破れた衣服と、カビの生えたパン」を見て、彼らの嘘を信じてしまいました。
聖書はこう記しています。
「イスラエルの人々はその食物を取って、主に伺うことをしなかった」(ヨシュア 9:14)

問題の核心は「だまされたこと」ではなく、
主に伺わなかった心そのものでした。

勝利が続くと、人は自分の判断を過信しやすく、
目の前の状況だけで判断してしまいます。
しかし神は、どんな小さなことでも みことばに照らして分別する よう私たちを招いておられます。


契約は、軽い約束ではない

ギブオン人の策略は確かに悪いものでした。
それでもヨシュアは、その契約を破りませんでした。なぜでしょうか。

契約とは、人間の失敗よりも、神の御名が重んじられる約束だからです。

改革派神学では、
「神の契約は、私たちの失敗よりも大きい」
と説明します。

私たちはしばしば、失敗した相手を拒み、
間違った判断を悔やみながら関係を断ちたくなります。
しかし神は、みことばによって結ばれた約束を軽んじられません。

だから私たちも、たとえ失敗した状況の中でも
恵みによって回復を選ぶ道を求められるのです。


だまされない人生とは、みことばの前に立つ人生

ヨシュアの失敗は、私たちに重要な教えを示しています。

  • 感情や状況で判断しないこと

  • 決断の前に必ず主に伺い、みことばで見極めること

  • 失敗したときこそ契約を破らず、恵みで対処すること

これこそが、宗教改革の中心である
「聖書のみ(Sola Scriptura)」 の生き方です。

分別は私たちの知恵からではなく、
聖霊がみことばを通してくださる光から生まれます。

だから本当の問題は「だまされること」ではなく、
主に伺わない心なのです。


🙏 祈り

主よ、私たちの目は常に限界があり、だまされやすい者です。
しかしあなたのみことばはいつも光であり、私たちの道を照らしてくださいます。
決断の前に、関係の前に、恐れの前に、まずあなたに伺う者としてください。
契約を守られる神の真実を学ばせてください。
失敗したときも逃げず、恵みによって対処する信仰をお与えください。
今日も、みことばの分別を下さる聖霊に頼ります。アーメン。


🔍 適用

  • 今日、決断すべきことがあるなら、一度立ち止まり、まず主に伺ってください。

  • 人の言葉よりも、みことばによって心と考えを整えてください。

  • 自分が失敗したときも、誰かにだまされたときも、神の前で恵みによって応答してください。


💡 黙想ポイント

ギブオンの出来事は、単なる「だまされた話」ではありません。
主に伺わなかった人間の限界と、神の契約の真実を示すみことばです。

今日もみことばの前に立ち、恵みによって応答してください。
そのとき、あなたの人生は揺るがない霊的洞察を得るでしょう。

コメント

このブログの人気の投稿

ヨシュア記 24:25–33 〈 契約として残された信仰、次の世代への証し 〉

Joshua 24:25–33 < Faith Preserved by Covenant, a Testimony to the Next Generation >

Joshua 24:14–24 < The Truth of the Covenant Revealed at the Moment of Choice >