ヨシュア記 22:21–34 〈 主の前で一つとされる共同体――誤解を越えて立つ信仰の場 〉
📖 ヨシュア記 22:21–34 〈 主の前で一つとされる共同体――誤解を越えて立つ信仰の場 〉
34 ルベン族とガド族はその祭壇を『エド』と名づけた。『これは、主こそ神であられることを、私たちの間に証しするものだ』と言った。
✨ 誤解の中でも、主の前での一致を守る
ヨルダン川の東側の部族は、主に対する忠実さを示すために祭壇を築きました。しかしその姿は、かえって分裂の兆しと受け取られました。西側の部族はこの知らせを聞き、戦いの準備さえしました。
しかし、出来事の中心にある思いを丁寧に見つめると、これは分裂ではなく、共同体が再び「主の前で一つ」であることを確認する過程でした。
信仰の道を歩むとき、私たちの意図とは違う形で誤解が生じることがあります。しかし主は、その誤解さえも用いて、共同体をより深く結び合わせてくださいます。
✨ 主の前で明らかになる心の中心
東側の部族が築いた祭壇は、いけにえをささげるためではありませんでした。次の世代が主を忘れないようにと残した「証しの祭壇」でした。
彼らは、「私たちも主を礼拝する神の民である」ということを示したかったのです。
主は、外側の行為よりも、まず心の中心をご覧になる方です。
私たちの行動が時に誤解されても、主の前で純粋な心で歩むなら、主ご自身がその心の真実を明らかにしてくださいます。
✨ 律法を越えて、恵みによって一つとされる共同体
イスラエルは律法的な基準で互いを判断しようとしました。しかし対話と説明を通して、彼らは互いの思いを理解するようになります。
これは今日の教会共同体にも与えられる重要な教訓です。
関係の緊張は避けられない時がありますが、主の前でへりくだるとき、恵みは再び共同体を建て上げます。
福音によって、主は分裂を防ぎ、恵みによって私たちを一つとされます。
すなわち、「ただ恵み」が共同体を守る力となるのです。
🙏 祈り
誤解や葛藤の中でも、私たちの心の中心をご覧になる主を信頼します。
私たちの言葉と行動が主へと向けられ、共同体が恵みによって一つとされますように。
判断より理解を、分裂より一致を選ぶ者としてください。
また、証しの祭壇のように、私たちの生涯が主を証しする場となりますように。
🔍 適用
・私は共同体の中で誤解を恐れ、自分の思いを隠してはいないか。主の前で心を点検してみましょう。
・葛藤の場面を「判断の理由」ではなく、「恵みを経験する機会」に変えてみましょう。
・今日、誰か一人に、私が信じる神がどのような方かを生活の中で証ししてみましょう。
💡 黙想ポイント
主は私たちの行動よりも心の中心をご覧になり、誤解さえも恵みに変えて共同体を一つとされます。
今日も主の前にまっすぐ立ち、「証しの祭壇」のように主を現す生き方を選びましょう。
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