📖 出エジプト記 3章14節<神とは誰か — 「わたしはある」の意味>

📖 出エジプト記 3章14節<神とは誰か — 「わたしはある」の意味>

14 神はモーセに言われた。『わたしはある(I AM WHO I AM)という者である。』


神は「存在そのもの」である

神が「わたしはある」と言われたのは、神が何かに依存して存在する方ではなく、ご自身によって永遠に存在する方であることを意味します。人間も自然もすべて「依存的な存在」です。しかし神は始まりも終わりもない自存の神であり、すべてのいのちの源です。私たちが息をし、生きているその瞬間も、神が私たちを存在させておられるのです。


創造主なる神 — すべての存在の根源

神は「無から」世界を創造されました(創世記1:1)。神学者ヘルマン・バヴィンクは「創造とは、神の自存と主権の現れである」と述べました。人間は自分で自分をつくった存在ではなく、神の愛によって造られた被造物です。したがって、私たちのいのちは自分のものではなく、神に属しています。この真理を知るとき、私たちは傲慢から解き放たれ、感謝と畏れの心を抱くようになります。


神の性質 — 聖と愛の調和

神はただ絶対的な力を持つ方ではありません。神は聖なる方(イザヤ6:3)であり、同時にあわれみと恵みに満ちた方(出エジプト記34:6)です。
聖は神の完全さを、愛はその完全さが私たちに向けられる温かさを示しています。改革派神学は、神のすべての属性が
完全に調和した一つの本性
の中にあると教えています。


宣教の視点から見た神の理解

日本の文化では、神(かみ)は多くの形で存在すると考えられています。しかし聖書が語る神は唯一で、人格的な創造主です。神は自然や祖先の中に散らばっている存在ではなく、私たちと出会い、関係を結ばれる方です。その関係の中でこそ、私たちは「自分が誰であり、なぜ生きるのか」を見いだすことができます。


信仰によって知る神 — 関係的理解

神を知るとは、単なる「知識」ではなく「関係」です。福音とは、「人間が神に何をするか」ではなく、「神が人間のために何をしてくださったか」という良い知らせです。神を知るとは、神の愛と恵みを経験し、その中で人生が新しく変えられることを意味します。


🙏 祈り

自ら在る主なる神よ、あなたを畏れます。被造物である私が、あなたのいのちによって生かされていることを悟らせてください。私の高ぶりを低くし、創造主なるあなたの前にへりくだる者とならせてください。あなたの聖と愛を慕い、この地上であなたの栄光をあらわす者とならせてください。


💡 黙想ポイント

神は始まりも終わりもない「自ら在る方」です。
神のうちにこそ、存在の意味と平安が与えられます。
今日も「神が必要な方」ではなく、「すべての根源である方」として神を告白しながら歩みましょう。


🔍 適用

  1. 自分の人生の中心が神以外のものになっていないか振り返りましょう。

  2. すべてのことの主が神であると認め、感謝の祈りをささげましょう。

  3. 神との関係の中で、自分自身と世界を新しい目で見つめ直しましょう。

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