マタイの福音書 5:17–26 〈 律法の完成、心から始まる義 〉

📖 マタイの福音書 5:17–26 〈 律法の完成、心から始まる義 〉

20 あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさらなければ、決して天の御国に入ることはできません。


律法を廃するためではなく、完成するために来られたイエス

イエスは律法を壊すために来られたのではありません。むしろ、律法が本来示している神の義の目的を明らかにするために来られました。律法は、神が望まれる正しい生き方を映し出す鏡です。しかし人は、律法を守っている「ふり」はできても、その本質を自分の力で成し遂げることはできません。
だからこそイエスは「律法の完成」として来られ、私たちが到底到達できない義を、ご自身で完全に成し遂げられました。これは、行いによって神の前に立とうとするすべての試みを手放し、キリストにより頼みなさいという招きです。


外側の義を越えて、心の義へ

イエスは「殺してはならない」という戒めを取り上げ、怒りや憎しみという心の状態にまで光を当てられます(マタイ5:21–22)。人は手で罪を犯す前に、すでに心の中で罪を抱いています。
パリサイ人たちは外見上は非の打ちどころがないように見えましたが、その内側には高慢や人を裁く心が隠れていました。イエスは、外面的な道徳性ではなく、神の前で正直な心を求めておられます。それは、自分を義とする心を砕き、恵みによって神のもとへ来させるためです。


和解を第一とされる神の御心

イエスは、礼拝よりも先に和解を語られます。兄弟との関係が壊れたままささげる礼拝は、神が喜ばれるものではないからです(マタイ5:23–24)。
福音は、神との関係の回復だけでなく、人との関係の回復までも含みます。怒りや憎しみは共同体を壊しますが、福音は赦しと和解によって新しい関係を築きます。これが、キリストにあって与えられた新しい生き方の秩序です。


よりまさる義 ― ただキリストにあって

イエスが求められる「よりまさる義」とは、イエス・キリストの義が私たちに転嫁される恵みです。私たちの心は完全にきよくありませんが、キリストは完全な従順によって律法を成し遂げられました。そしてその義を、信仰によって私たちに着せてくださいます。
これが「ただ恵みにより、ただ信仰によって」という福音です。このみことばは私たちを責めるためではなく、さらに深くキリストにつかせるために与えられています。


🙏 祈り

義なる神よ。外側だけの信仰で満足していた私たちの心を照らしてください。怒りや憎しみまでもご存じのあなたの前に、立つことができない者であることを告白します。
私たちの義ではなく、イエス・キリストの義により頼む者とし、恵みによって新しい心をお与えください。赦しと和解の道を歩ませ、福音によって共同体を建て上げる人生を生きさせてください。


🔍 適用

・ 行動だけでなく、心の状態をみことばの前で点検してください。
・ 先延ばしにしていた和解の一歩を、今日決断し、踏み出してください。
・ 自分の義ではなく、キリストの義によって神の前に立っていることを、日々告白してください。


💡 黙想ポイント

マタイの福音書5章は、より深くキリストにより頼むようにとの招きです。律法は私たちを罪に定めますが、福音は私たちを生かします。
今日も自分の義を手放し、イエス・キリストの完全な義の中で、真の自由と平安を味わってください。

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