マタイの福音書 5:27–37 〈 心から始まる聖さ、真実に生きる人生 〉

📖 マタイの福音書 5:27–37 〈 心から始まる聖さ、真実に生きる人生 〉 

37 あなたがたは、ただ「はい」はい、「いいえ」はいいえと言いなさい。それ以上のことは、悪から出ているのです。


心の罪を扱われるイエスのことば

イエスは姦淫と誓いについて語り、罪の根が行動ではなく心にあることを明らかにされます。
「情欲を抱いて女を見る者は、だれでも、すでに心の中で姦淫を犯したのです」(マタイ5:28)。
このみことばは、人間の内面がどれほど深く堕落しているかを示しています。
私たちは、外に現れた罪だけを慎めばよいと思いがちですが、主は隠された思いと欲望にまで光を当てられます。
このみことばの前に、だれ一人として自分を正しいと言うことはできません。


自己抑制ではなく、恵みの必要性を示すみことば

イエスは「目をえぐり出し、手を切り落とせ」という過激な表現を用いられます。
これは、罪を軽く考えてはならないという強い警告です。
人は意志や決断によって罪を断ち切れる存在ではありません。
このみことばは私たちを絶望させるためではなく、恵みなしには生きられない存在であることを悟らせるためのものです。
心が新しくされなければ、人生も変わりません。


神の御前で生きる、真実なことば

続く誓いについての教えで、イエスは「決して誓ってはならない」と言われます。
それは、神の御前で正直に生きよ、という招きです。
神の主権を認めない誓いは、結局、自分自身を保証人に立てる行為です。
福音のうちに生きる者は、もはや言葉で自分を飾る必要がありません。
すでにキリストにあって受け入れられているからです。
だからこそ、「はい」「いいえ」と、単純で真実なことばを語る人生へと招かれているのです。


福音が照らす、真の変化への道

マタイの福音書5章は、私たちを「より良い人」にするための倫理規範ではありません。
むしろ、私たちの無力さを明らかにし、イエス・キリストの義がどれほど必要かをはっきり示します。
心の罪と言葉の偽善の前で、私たちは再び福音に立ち返らなければなりません。
キリストは私たちの罪を担われ、聖霊は私たちの心を新しくしてくださいます。
この恵みの中でのみ、真の聖さと真実は始まります。


🙏 祈り

聖なる神よ、行いだけでなく、心の奥深くまでご存じのあなたの御前に立ちます。
自分自身を清くすることができないことを告白します。
イエス・キリストの義によって、私たちを覆ってください。
言葉や行動よりも先に、心が新しくされ、
真実な人生を通して、あなたの栄光を現す者としてください。


🔍 適用

・ 今日一日、行動の前に心の動機を、みことばの前で点検してください。
・ 罪と妥協せず、恵みをより深く握りしめてください。
・ 人の前ではなく、神の御前で正直に語り、生きてください。


💡 黙想ポイント

イエスは私たちの罪を隠されません。しかし同時に、福音によってそれを覆ってくださいます。
心から始まる聖さは、私たちの決断ではなく、キリストの恵みから始まります。
今日も福音の光の下で、真の自由と希望を握りしめてください。

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