マタイの福音書 6:16–24 <隠れた敬虔、ただ一人の主人>

📖 マタイの福音書 6:16–24 <隠れた敬虔、ただ一人の主人>

24 だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛するか、一方を重んじて他方を軽んじることになるからです。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。

隠れた断食、神の前での真実

イエスは断食そのものを禁じられたのではありません。むしろ、「人に見せるための敬虔」を戒められました(マタイの福音書 6:16)。人から認められようとして顔をこわばらせる心は、すでに報いを受けています。真の敬虔とは、隠れたところで神を見つめる姿勢です。神は隠れたことをご覧になり、報いてくださいます。恵みは心から始まります。

見える宝、見えない宝

イエスは富そのものではなく、その方向を扱われます(マタイの福音書 6:19–21)。地上の宝は朽ち、失われますが、天の宝は永遠です。何を最も大切にしているかが、私たちの心を導きます。行いによって義を積み上げようとする宗教的熱心さも、結局は自己栄光のための宝になり得ます。福音は、私たちの功績ではなく、キリストの義にすがるよう導きます。

目が澄めば、全身が明るい

目は心の窓です(マタイの福音書 6:22–23)。視線が曇れば、人生全体が暗くなります。何を基準に見て判断するかが、人生の方向を決めます。福音は視線を正します。自分を誇示する敬虔から、神を信頼する敬虔へと移されるのです。

ただ一人の主人、明確な選択

イエスは明確に語られます。神と富とを同時に仕えることはできません(マタイの福音書 6:24)。富は道具であって、主人ではありません。福音は私たちを自由にします。恐れに縛られて生きるのではなく、ただ一人の主人に拠り頼むようにします。恵みを知る者は、選択が明確になります。

🙏 祈り

隠れたことをご覧になる神よ、人の視線ではなく、主の御顔を求めさせてください。見える宝に心を奪われず、天の宝を愛する者としてください。二人の主人に仕えようとする分裂した心を捨て、ただ主だけに仕えさせてください。キリストの義に拠り頼み、自由と喜びをもって従う者としてください。

🔍 適用

  • 今日の敬虔は、だれに見せるためのものですか。神の前で改めて点検してください。

  • あなたの心を最も捉えている宝は何ですか。天の価値を選び取りなさい。

  • 富や成功が主人とならないよう、神に最優先の座をお渡しください。

💡 黙想ポイント

隠れた敬虔は、福音によって生かされた心の実です。視線が清められると、人生は明るくなります。ただ一人の主人を選ぶ決断の中で、神の国の自由と平安が始まります。

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