マタイの福音書 8:14–22 <癒やしを超えて、従うことへと招かれるイエス>
📖 マタイの福音書 8:14–22 <癒やしを超えて、従うことへと招かれるイエス>
22 イエスは彼に言われた。
「死人たちに自分たちの死人を葬らせなさい。あなたはわたしに従いなさい。」
✨ イエスの御手、人生を回復させる
イエスがペテロの姑の家に入られたとき、彼女は熱病で床に伏していました。
イエスはひと言のことば、そしてその御手に触れることによって、彼女を癒やされます(マタ 8:15)。
病が去ると、彼女はすぐに起き上がり、イエスに仕え始めました。
恵みは、人をその場にとどまらせません。
それは人生の向きを変え、イエスに仕える者へと導きます。
真の癒やしとは、体の回復にとどまらず、人生の主が変わることにまで及ぶのです。
✨ 恵みは安らぎではなく、召しへと続く
続いて、イエスに従いたいと願う人々が登場します。
しかし、イエスは私たちの期待とは異なることを語られます。
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません」(マタ 8:20)。
また別の弟子には、葬りを理由に先延ばしにしようとする心を指摘し、
「今、わたしに従いなさい」と命じられます。
イエスに従う道は、安全や快適さが保証された選択ではありません。
それは、自分の優先順位や基準を手放し、
主の召しを人生の中心に据える決断なのです。
✨ 恵みによって召され、全人格をもって従う
キリスト教信仰は、「私たちがイエスを選んだ」と語りません。
むしろ、先に私たちを探し出してくださった主の恵みが、私たちを召したと告白します。
癒やされたペテロの姑がすぐに仕える者となったように、
恵みは必ず従順という実を結びます。
信仰は言葉にとどまらず、人生の方向を変える現実です。
イエスに従うとは、
自分の人生の主権を主にお委ねすることなのです。
🙏 祈り
恵みの主よ、
私たちを探し出し、癒やし、そして召してくださるあなたを賛美します。
快適さや計算によってあなたに従おうとしていた心を悔い改めます。
ただ恵みによって生き、今日もイエスを人生の主として従わせてください。
癒やされた者として、従順と奉仕の道へと踏み出させてください。
アーメン。
🔍 適用
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イエスに従うと言いながら、まだ手放せていない条件はありませんか。
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受けた恵みは、実際の従順と奉仕につながっていますか。
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今日の小さな選択の中で、「主を第一に」選んでみましょう。
💡 黙想ポイント
イエスの癒やしは終わりではなく、始まりです。
恵みは私たちを安らぎにとどめず、主に従う道へと招きます。
今日も「わたしに従いなさい」という主の御声の前でためらわず、
全人格をもって応答し、福音の道を歩みなさい。
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