マタイの福音書 10:34–42 〈 福音は葛藤を通り、まことのいのちへと導く 〉

📖 マタイの福音書 10:34–42 〈 福音は葛藤を通り、まことのいのちへと導く 〉

42 また、だれでも、弟子の名のゆえに、この小さい者たちの一人に、冷たい水一杯でも与えるなら、まことに、あなたがたに言います。その人は決して報いを失うことがありません。


「平和ではなく、剣をもたらすために来た」と語られたイエス

イエスは、「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思ってはなりません」と言われました。
これは暴力を意味する言葉ではありません。福音が入るとき、私たちの最も深い関係や価値観が揺さぶられるからです。
家族、成功、承認が人生の中心だったところに、イエスが主として立たれるとき、葛藤が生じます。
しかし、この葛藤は破壊ではなく、秩序の転換です。主人が変わるときに生まれる、聖なる緊張なのです。


自分の十字架を負って従いなさい

イエスは、「自分の十字架を負ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われます。
十字架とは、自己中心的な生き方の終わりを意味します。
福音は、私たちをより楽にするためのものではなく、より明確にするためのものです。
何のために生きるのかがはっきりするとき、人生は初めて自由になります。


失う者が、得る

「自分のいのちを得ようとする者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを得る。」
これが福音の逆説です。
世は「握りしめよ」と言いますが、イエスは「手放しなさい」と言われます。
しかし、その手放しの先にあるのは空しさではなく、まことのいのちです。
これこそが恵みの道であり、信仰の道です。


小さな従順も、決して無駄にはならない

冷たい水一杯。とても小さなことに見えます。
しかし、イエスはそれを覚えておられます。
大きな決断だけでなく、小さな愛や隠れた奉仕も、神の国では報いとされます。
福音は壮大な英雄物語ではなく、日常の従順によって証しされるものです。


🙏 祈り

主よ、福音の前で妥協しない者としてください。
葛藤を恐れるのではなく、主に従う喜びを選ばせてください。
十字架を負う道こそ、いのちの道であると信じさせてください。
また、小さな従順にも忠実な弟子として生きさせてください。


🔍 適用

  • イエスよりも先に置いているものがないか、点検してみましょう。

  • 今日は、損に見えても、福音にふさわしい選択をしてみましょう。

  • 小さな奉仕を一つ、意識して実践してみましょう。


💡 黙想ポイント

福音は、葛藤を通って、いのちへと導きます。
失うように見えても、キリストを得る道こそ、最も確かな道です。
今日も十字架を負って従う弟子の道で、神が与えてくださる
まことの自由と希望を味わいましょう。

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