マタイの福音書 11:20–30 〈 悔い改めを招かれる主、安らぎを与えられる主 〉
📖 マタイの福音書 11:20–30 〈 悔い改めを招かれる主、安らぎを与えられる主 〉
29 わたしは心が柔和で、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
✨ 悔い改めを拒んだ町々、しかし開かれた招き
イエスは、多くの力あるみわざを見ながらも悔い改めなかったコラジン、ベツサイダ、カペナウムを責められました(マタ11:20–24)。問題は奇跡の不足ではなく、心のかたくなさでした。恵みを身近にしながらも立ち返らない態度は、さばきの警告となります。しかし、この厳しいことばの終わりには、思いがけない招きがあります。主は、定罪で終わらせず、「立ち返って来なさい」と呼びかけておられます。
✨ 知恵ある者から隠され、幼子に示される
イエスは父なる神のみこころをほめたたえられました。「知恵ある者、賢い者からは隠して、幼子たちに現してくださいました」(マタ11:25)。これは、自分の義に頼る心への警告です。悔い改めは、自分の力を手放すことから始まります。神の前に、幼子のように空の手で立つ者に、福音は明らかにされます。
✨ 重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい
律法の重さ、達成への圧力、宗教的形式による疲れの中で、イエスははっきりと語られます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ11:28)。この安らぎは逃避ではなく、関係の回復です。イエスのくびきは抑圧ではなく、恵みの秩序です。主のくびきは軽く、主の荷は愛によって負わされます。
✨ 柔和でへりくだった主から学ぶ人生
イエスは、私たちに自分を証明せよとは言われません。「わたしから学びなさい」と言われます。福音とは、私たちが何を成し遂げるかではなく、キリストがすでに成し遂げられたことにあずかる道です。ですから、まことの安らぎは、信仰によってただちに与えられる賜物です。
🙏 祈り
柔和でへりくだった主よ、悔い改めを先延ばしにしてきた私たちのかたくなさをお赦しください。自分の義という重荷を下ろし、主のくびきを負わせてください。労苦と心配で疲れた私たちの心に、福音の安らぎを注ぎ、今日もキリストにあって、まことの休みを味わわせてください。
🔍 適用
・ あなたが今、握りしめている重い荷は何ですか。主の前に下ろしなさい。
・ 成果で自分を証明しようとする習慣をやめ、恵みによって学ぶ道を選びなさい。
・ 疲れている隣人に、さばきではなく招きを伝え、「来なさい」という福音を手渡しなさい。
💡 黙想ポイント
悔い改めを拒んだ町には警告がありましたが、主のもとに来る者には安らぎがあります。
福音は重い要求ではなく、軽いくびきです。
今日もキリストの柔和とへりくだりを学び、恵みのリズムで一日を歩みなさい。
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