マタイの福音書 12:1–21 〈 安息日の主、憐れみの王 〉
📖 マタイの福音書 12:1–21 〈 安息日の主、憐れみの王 〉
18 見よ、わたしが選んだしもべ。わたしの心にかなう、わたしの愛する者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は異邦人にさばきを告げ知らせる。
✨ 安息日の真の意味―いのちを生かす主
イエスは、安息日に麦の穂を摘んで食べた弟子たちを弁護し、安息日の本来の目的を明らかにされました。
安息日は人を縛る規則ではなく、いのちを生かすために与えられた神の賜物です。
パリサイ人たちは律法の形にとらわれていましたが、イエスは律法の中心が「憐れみ」であることを示されます。
「人の子は安息日の主です」(マタイ12:8)。
律法を与えられた神ご自身であるイエスの前で、私たちは形式ではなく、いのちを選ぶべきです。
✨ 傷んだ葦を折られないキリスト
イエスは安息日に、手の萎えた人を癒されました。
それは、苦しむ一人の人に向けられた神の御心の現れです。
マタイはこの出来事を、イザヤの預言の成就として語ります。
「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない」(マタイ12:20)。
キリストは弱い者を退ける方ではなく、近づいて回復させる王です。
裁きよりも回復を先に行われる――それが神の御業のあり方です。
✨ 律法の上に立ち、福音を完成される主
マタイの福音書12章は、律法と福音の緊張を示しますが、その結論は明確です。
律法は私たちを生かすことができず、律法を完成されたキリストだけが私たちを生かされます。
私たちは行いによってではなく、恵みによって義とされます。
安息日の主であるイエスのうちに、真の休みと回復が始まります。
🙏 祈り
憐れみ深い神よ。
規則や形式に縛られ、いのちを見失っていた私たちの目を開いてください。
安息日の主であるイエス・キリストを仰ぎ見て、律法ではなく、恵みの中にとどまらせてください。
傷ついた心と疲れた魂に、主の憐れみをもって触れてくださり、
今日も福音の中で、真の安らぎを味わわせてください。
🔍 適用
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信仰の形式によって、他の人を裁いていないかを省みてください。
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今日、憐れみを必要としている一人に近づき、小さな仕えを実践してみてください。
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忙しさの中でも、キリストにある真の安息を味わう時間を持ってください。
💡 黙想ポイント
イエスは律法を廃するために来られたのではなく、いのちによって完成されました。
傷んだ葦を支え、消えかけた灯心を生かされるキリストのうちに、
私たちは罪の定めではなく、回復を見いだします。
今日も、安息日の主である主のもとに進み、恵みによって息づく生き方を選びなさい。
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