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📖 イザヤ書 40:28 〈 神とは誰か ― 創造主であり、変わることのない慰めの源なる神 〉

📖 イザヤ書 40:28  〈 神とは誰か ― 創造主であり、変わることのない慰めの源なる神 〉 あなたは知らなかったのか。聞かなかったのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむこともなく、その英知は測り知れない。 ✨ 創造主なる神 ― すべての存在の源 神は宇宙といのちの始まりです。 人間は偶然に存在するのではなく、創造主の御手によって造られた存在です。 神学者バーフィンクは「神は自存(じそん)される方であり、すべての存在の根源である」と語りました。 神は世界を造られた後に遠く離れておられる方ではなく、今もすべてを保ち、導いておられます。 私たちが息をするその瞬間さえ、神の御心と愛のうちにあります。 ✨ 疲れを知らない神 ― 変わらぬ慰めの源 イザヤは「疲れることなく、たゆむこともない神」と語ります。 それは人間の限界を超えた、絶対なる存在を示しています。 私たちは疲れ、迷いますが、神は決して疲れません。 福音とは「人間が何をすべきか」ではなく、「神が私たちのために何をしてくださったか」という知らせです。 神は疲れた者に力を与え、弱い者に勇気をお与えになります(イザヤ 40:29)。 信仰とは、自分の力で耐えることではなく、疲れを知らない神に支えられて生きることです。 ✨ 計り知れない知恵と悟りを持つ神 「その英知は測り知れない」――神は人間の理解を超えた知恵の源です。 人の知識には限界がありますが、神の知恵は創造から救い、裁き、回復のすべての歴史の中に現れています。 神のご性質は、その存在の無限の豊かさの現れです。 ゆえに信仰とは理解の問題ではなく、信頼の問題です。 たとえ私たちがすべてを理解できなくても、神はすべてをご存じであり、最も良い道へと導かれます。 🙏 祈り 創造主なる神よ、あなたは永遠であり、疲れることのないお方です。 私の弱さの中にあっても、あなたの力によって生きる者としてください。 すべての知恵と悟りがあなたにあることを告白し、今日もあなたを信頼します。 疲れた心に新しい力を与え、あなたの創造の中で平安を味わわせてください。 💡 黙想ポイント 神は疲れることのない方です。その力には限界がありません。 今日、自分の力ではなく神の力によって歩みましょう。 創造主を信...

神とは誰か ― 主こそ神であられる ― 被造物としてささげる礼拝

📖 詩編 100:3 <主こそ神であられる ― 被造物としてささげる礼拝> 主こそ、神であることを知れ。主は私たちを造られた。それゆえ、私たちは主のものであり、主の民、主の牧場の羊である。 ✨ 主こそ神であられることを知れ 詩編100編は賛美の詩であり、礼拝への招きです。 しかしそれは単なる感情的な高揚ではなく、はっきりとした信仰告白から始まります。 「主こそ、神であることを知れ。」 ここで言う「知る」とは、頭の理解ではなく、存在のすべてで神の前に立つ確信を意味します。 私たちが礼拝するのは、私たちが神を選んだからではなく、神が私たちを造り、先に選び、呼び寄せてくださったからです。 改革派神学では、神を知る知識は「啓示」から来ると教えます。 人間の思索や体験ではなく、神ご自身が御言葉を通してご自身を示された結果なのです。 したがって、礼拝とは感情の発露ではなく、神の啓示に対する「応答」なのです。 ✨ 私たちを造り、養ってくださる方 「主は私たちを造られた。それゆえ、私たちは主のものである。」 この一節は、人間の存在の根本を語っています。 私たちは偶然に生まれた存在ではなく、目的をもって造られた神の作品です。 神学者ハルマン・バヴィンクは、人間を「神のかたちに造られた関係的存在」と呼びました。 主が私たちを造られたからこそ、私たちは主に属する者です。 そして主が私たちの主権者であるゆえに、私たちの人生そのものが礼拝となります。 「神に属する」という告白は、自分の人生の主導権を神にゆだねる信仰の行為です。 日本の文化は「和(わ)」、つまり調和を重んじます。 しかし、その調和の基盤が人間の努力であるなら、いつか壊れてしまいます。 詩編は言います。「主が私たちを造られた。」 真の平安と調和は、創造主なる神との関係の中でこそ回復されるのです。 ✨ 主の民、主の羊として生きる 「私たちは主の民、主の牧場の羊である。」 神は遠く離れた創造主ではなく、羊を導く牧者のように私たちを見守っておられます。 使徒パウロはローマ書14章で「信仰によって歩む者の人生は、神の国の義と平和と喜びである」と語りました。 羊が牧者の声を信頼してついていくように、信仰とは神の導きに従う従順です。 改革派信仰の中心である「ソラ・フィデ(Sola Fide/信仰...

📖 ヨシュア記 11:1-15 〈 完全な従順が導く神の勝利 〉

📖 ヨシュア記 11:1-15  〈 完全な従順が導く神の勝利 〉 15 主がそのしもべモーセに命じられたことを、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそれを行った。主がモーセに命じられたことのうち、行わなかったものは一つもなかった。 ✨ 神は約束を成就されるお方です ヨシュア記11章は、北方の王たちが大連合軍を結成したとき、神が再び「恐れてはならない」(11:6)と語られる場面から始まります。 これはイスラエルの軍事力による勝利ではなく、 神ご自身が戦われるゆえに恐れる必要がない という宣言です。 神はすでに約束されたとおり、その地を与えるために、イスラエルに先立って働かれます。 私たちが自分の力では到底乗り越えられない問題の前に立つときでも、神は約束を破られず、必ず成就してくださいます。 ✨ 勝利の鍵は「戦略」ではなく「従順」です 北方諸王の「馬と戦車」は当時最強の軍事力でした。しかし神は「彼らを恐れるな」と言われ、さらに「馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え」(11:6)と命じられます。 これは、人間的な力・計算・誇りを捨て、 神の方法に全面的に依り頼む ことを意味します。 ヨシュアは計算よりも従順を、戦略よりも御言葉を選びました。 そして聖書はこう語ります。 「主がモーセに命じられたことのうち、行わなかったものは一つもなかった。」(11:15) 神は 完全な従順を通して完全な勝利を 与えられるお方です。 ✨ 従順は重荷ではなく、恵みの道です 従順は救いの条件ではありません。 むしろ、救われた者に自然に生まれる 恵みの実 です。 私たちはすでに恵みによって救われました。 だからこそ従順の道を歩むことができるのです。 ヨシュアの従順も、彼自身の努力で作り出した霊性ではなく、 神の約束を信じる信仰、恵みから始まった従順 でした。 🙏 祈り 主よ、恐れの中にいるときでも、先立って働かれるあなたを見上げることができるようにしてください。 自分の計算と力を手放し、御言葉の前に全き従順で立てるように導いてください。 従順を重荷ではなく、恵みの実として受け取らせてください。 今日もあなたが成し遂げられる勝利を経験させてください。アーメン。 🔍 適用 神がすでにくださった約束の御言葉を握り、今日、一つでも...

📖 ヨシュア記 10:29–43 < 主が成し遂げられる勝利、そして従順の道 >

📖 ヨシュア記 10:29–43 < 主が成し遂げられる勝利、そして従順の道 > 42 イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたので、ヨシュアはこれらすべての王とその地を一度に打ち取った。 ✨ 神の勝利は、徹底した従順の中で現れます ギブオンの戦いの後、ヨシュアは南の各都市を一つずつ攻め取っていきました。 これらすべての勝利は、彼らの力や戦略ではなく、 主がともにおられ、イスラエルのために戦われた からです。 ヨシュアは主が命じられた道を最後まで歩み、その従順の中で神の約束は現実となりました。 ✨ 勝利は一日で完成しません この戦いは、一瞬の奇跡ではなく、ヨシュアと民の「絶え間ない従順」の歩みでした。 都市ごとに、主は同じ恵みを与え、民はその恵みに支えられて大胆に前進しました。 私たちの人生でも、神のわざは“すぐに”ではなく、 今日も忠実に従う人を通して、ゆっくり、しかし確実に 進められます。 ✨ 神の約束は私たちの弱さより大きい イスラエルの民は完璧ではなく、失敗も多くありました。 それでも、神は彼らの弱さを超えて、約束を成し遂げられました。 私たちも、自分の弱さにとらわれず、 約束を成し遂げられる主の真実 を見上げましょう。 🙏 祈り 主よ、戦いの中でもともにおられる神を信じます。 私たちの力ではなく、主の御手によって勝利が与えられることを告白します。 歩む道に恐れがあるとき、主の約束を握り、従順の一歩を止めることがないように助けてください。 すべての勝利が主の恵みによるものであることを覚え、私たちの人生を通して主の栄光が現れますように。 🔍 適用 • 今日直面している問題の前で、まず何に従うべきかを点検してください。 • 結果よりも「一日の従順」を大切にしてください。神はその歩みの中で働かれます。 • 自分の弱さを責めるよりも、約束を実現される神の真実を仰ぎ見てください。 💡 黙想ポイント 神のみわざは人間の能力ではなく、神への信頼と従順の中で進められます。 ヨシュアが一歩ずつその地を踏みしめたとき、神はその都度約束を成し遂げられました。 今日も同じ神が働かれます。恐れず、一歩ずつ従順の道を歩んでください。 神はあなたの人生の中で、確かに約束を実現されます。

📖 ヨシュア記 10:15-28 〈とどまることのない主の勝利、福音の光の中を歩む道〉

📖 ヨシュア記 10:15-28 〈とどまることのない主の勝利、福音の光の中を歩む道〉 15 こうしてヨシュアは、イスラエルのすべてとともにギルガルの陣営に帰った。 ✨ 戦いのただ中でも、神はご自身の民を守られます ヨシュアは、五人の王たちの連合軍という大きな脅威の前でも恐れませんでした。 それは主がこう約束されたからです。 「彼らを恐れてはならない。わたしは彼らをあなたの手に渡した。ひとりもあなたに対して立つ者はいない。」(ヨシュア 10:8) 10章15〜28節は、この約束が歴史の中でどのように実現したかを示しています。 神は 太陽と月をとどまらせ 、 敵の心を揺り動かし 、その地をイスラエルに与えられました。 私たちが直面する霊的な戦いの中でも、神は決して退かれることのないお方です。 ✨ 神のさばきは徹底していますが、その恵みはさらに大いなるものです 本文には、悪を裁かれる神の正しいさばきが描かれています。 ギブオンを攻めようとした五人の王たちは最終的に隠れることができず(10:22)、主は彼らをイスラエルの前に渡されました。 しかし、このさばきの場面は私たちにもっと大きな福音を示しています。 人間の高ぶりは必ず倒れますが、神の恵みは信じる者を立たせます。 キリストの内にある者には、もはや罪に対する罪定めはありません(ローマ 8:1)。 ✨ とどまることのない勝利を成し遂げられるのは、ヨシュアではなく神です 本文には繰り返しこう記されています。 「主が彼らをあなたがたの手に渡されたのだ。」(10:19) 「主がこのようにされる。」(10:25) 勝利はヨシュアの戦略によるものではなく、 神の約束と主権によって与えられたもの でした。 今日、私たちが主に従って歩むときも同じです。勝利は私たちの力ではなく、 オブ・グラティア(Sola Gratia)— 恵みのみ オブ・フィデ(Sola Fide)— 信仰のみ ソリ・デオ・グロリア(Soli Deo Gloria)— 栄光はただ神に によって現れます。 🙏 祈り 主よ、私たちが直面するすべての戦いの中で、あなたの主権を信頼する者としてください。 恐れの前で立ち止まらず、みことばを握って歩ませてください。 本来はさばきを免れない罪人である私たちが、キリストの恵みによって命を...

神とは誰か ― 不安な時代を生きる私たちに与えられた最も大きな慰め

📖 詩篇 46:1 「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」 不安な時代を生きる私たちに与えられた最も大きな慰め 🕊️ はじめに|なぜ今「神は避け所」という言葉が必要なのか 最近、多くの人が同じような悩みを口にします。 「心が休まる場所がない」「逃げ場がない」「精神的に押しつぶされそうだ」。 特に • 職場のプレッシャー • 家族の問題 • 人間関係の疲れ • 突然の病気や経済的危機 こうした状況に直面すると、私たちは簡単に心が折れてしまいます。 そんな時に出会うべき御言葉が、まさに 詩篇46:1 です。 「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」 (詩篇46:1) この一節は短いですが、人生全体を支えるほどの力強い真理が込められています。 📌 詩篇46:1 の意味 「避け所」「力」「助け」— 3つの言葉が示す神のご性質 1️⃣ 神は私たちの「避け所」 「避け所(マハセ)」とは、 危険から守られる 安全な場所 を意味します。 ただの「心の慰め」ではなく、 現実的で確かな守りを与えてくださる方 です。 恐れが押し寄せるとき、 逃げ回る場所ではなく、 走って抱きつける場所 が神なのです。 2️⃣ 神は私たちの「力」 ヘブル語の「オズ(oz)」は 体力・意志力・内的強さを含む「力」を表します。 • 自分の力ではもう無理なとき • 問題が大きすぎると感じるとき • 一歩も進めないほど疲れたとき 神は 欠けている力を満たしてくださるお方 です。 3️⃣ 苦しみの中での「いつでもそこにある助け」 「助け」とは、ただの支援ではなく すぐに応答し、介入してくださる救い を意味します。 モーセを助け、 ヨセフを守り、 ダビデを救い出した神は、 今日も 苦しみの中で最も近くにおられる助け です。 💡 詩篇46:1 が現代の私たちに示すメッセージ ✔ 1. 問題よりも神のほうが大きい 私たちは問題を大きく見がちです。 しかし聖書は 神をもっと大きく見よ と教えます。 ✔ 2. 「避け所」は一時的な隠れ場ではなく、人生の中心 神は • ストレスが溜まったときだけ頼る存在でも • 気分転換のための場所でもなく、 人生全体を託せる揺るがない土台 です。 ✔ 3. 助けは「いつか」ではなく...

📖 ヨシュア記 10:1-14 〈 神が戦われた日、止まった太陽と月 〉

📖 ヨシュア記 10:1-14 〈神が戦われた日、止まった太陽と月〉 12 主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主にこう申し上げた――『太陽よ、ギブオンの上にとどまれ。月よ、アヤロンの谷にとどまれ。』 ✨ 神はご自身の民のために戦われます ヨシュアは五つの連合軍に囲まれ、恐れざるを得ない状況でした。しかし主は先にこう約束されました。 「彼らを恐れるな。わたしは彼らをあなたの手に渡した。彼らのうち、一人としてあなたに立ち向かう者はいない。」(ヨシュア 10:8) 勝利はイスラエルの戦略や力から来たのではなく、 神の約束と臨在 から始まりました。 私たちの人生でも同じです。目の前の問題が大きいほど、神はさらに明確に語られ、 神の戦いの中へ招いてくださる のです。 ✨ 止まった太陽と月 ― 神の主権的な力 戦いが終わる前に日が暮れようとした時、ヨシュアは大胆に祈りました。「太陽よ、止まれ。」 人間の目には不可能に見える祈り。しかしそれは、 神の主権を全面的に信頼する信仰の叫び でした。 聖書は、神がその祈りを聞かれ、太陽と月が動きを止めたと記しています。 神は自然の秩序さえも動かし、 ご自身の民を救うために働かれる方 です。 ここには、神の絶対的な主権が力強く示されています。 ✨ 信仰の勇気 ― 不可能へ踏み出す一歩 ヨシュアの祈りは向こう見ずではなく、 神の約束を信じた勇気ある一歩 でした。 神が戦ってくださると信じたからこそ、彼は状況ではなく神の言葉を見ました。 私たちの信仰生活でも同じです。外から見ると変化が遅く見えても、 神の時と方法は私たちの計算を超えています。 神は福音を聞いた一人の心を変え、その一人を通して家族・職場・地域へと影響を広げてくださいます。 ✨ 今日、あなたの “ギブオン” へ歩み出してください 私たちの前にある問題、傷、恐れ――それらは決して私たち一人で戦う戦いではありません。 神は今も私たちの人生の中で戦い、道を開き、 止まるべきものを止め、開くべきものを開かれる神 です。 🙏 祈り 全能の神よ、目の前の戦いがどんなに大きく見えても、恐れない信仰をお与えください。 ヨシュアのように約束を握り、大胆に祈る者とならせてください。 私たちの人生においても“太陽と月を止める”その御力を信じます...

神とは誰か ― 最良の牧者である神を信頼する人生

📖 詩篇 23:1  主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。 テーマ:最良の牧者である神を信頼する人生 🕊 神があなたの牧者であるなら、今日が変わります 日本で信仰について話すと、多くの人がこう言います。 「自分が強くならなければいけない」 「人に迷惑をかけてはいけない」 「つらいことは自分で解決するしかない」 しかし聖書は、まったく反対のメッセージを語ります。 神は私たちを一人にせず、守り、導く 牧者 だと言われます。 その核心が、詩篇23篇1節です。 わずか一行ですが、人生全体を変える福音の宣言です。 ✨ 「主は私の羊飼い」— 私を守り導くお方がいる 聖書の“羊飼い”は単なる牧童ではありません。 養い、守り、導き、危険から身をもって守る存在 です。 改革派神学ではこれを 神の契約的な愛 と呼びます。 神が私たちを決して見捨てず、責任を持って導いてくださる愛です。 もしあなたが日本で • 一人で抱えている不安 • 誰にも言えない悩み • 完璧でなければならないという重圧 その中にあるなら、この御言葉はこう語ります。 👉「あなたを守る牧者は、すでにそばにいる。」 ✨ 「私は乏しいことがありません」— 状況ではなく、牧者ゆえの平安 聖書は「問題がすぐに消える」とは言いません。 しかし、「乏しいことがない」と宣言します。 これは条件つきの平安ではなく、 状況ではなく“神ご自身”が与える平安 です。 改革派神学はこれを 「神の恵みは、必要なものを必ず満たす」 と教えます。(Sola Gratia ― 恵みのみ) つまり、 ✔ 弱くても ✔ 揺れていても ✔ 完璧でなくても 神が牧者であるゆえに、 乏しいことがない のです。 ✨ 人生の深いところに届く御言葉 日本では「人に迷惑をかけないこと」が大切にされます。 そのため信仰さえも「自分が頑張るもの」だと誤解されがちです。 しかし詩篇23篇は、明確にこう言います。 👉「あなたがうまくやるからではなく、神が守るからだ。」 これは私たちの心を“福音の中心”へ導く大切なメッセージです。 🙏 祈り 主よ、 私たちの牧者でいてくださり感謝します。 自分の力では生きられない瞬間も、 あなたが守り導いてくださったこと...

📖 ヨシュア記 9:16-27 < 欺きの中でも現れる神の真理 >

 📖 ヨシュア記 9:16-27 < 欺きの中でも現れる神の真理 > 16 彼らと契約を結んでから三日後、彼らが実は近くに住む者であることをイスラエルは聞いた。 ✨ 神の前での真実、人の前での約束 ギブオン人は、遠い国から来たかのように装い、イスラエルを欺きました。表面だけ見れば、イスラエルは被害者、ギブオンは加害者に見えます。しかし聖書は一つの真理を示します。 イスラエルの指導者たちは主に伺わず、自分たちの判断で契約を結んでしまった ということです。 そのため欺きは明らかになりましたが、すでに 主の前で結んだ誓いは破ることができませんでした 。 人間の失敗の中でも、神はご自身の義を現し、「あなたの判断は必ず御言葉の前で行いなさい」と教えておられます。 ✨ だまされないことより、まず神に尋ねる生き方 ヨシュアは欺かれましたが、誓いを守りました。それは律法主義ではなく、 契約を重んじられる神の御性質を反映した選択 でした。 私たちの生活にも、状況や感情が急いで答えを出すよう迫る時があります。しかし、 神の前での判断は必ず御言葉に基づかなければならず、人間の知恵には限界があります。 だからこそ今日も、決断より先に主の御前に静まり、御言葉へ向かうべきなのです。 ✨ 神は私たちの失敗の中でも善を成し遂げられる ギブオン人はイスラエルの中で「しもべ」として生きることになりましたが、その地で 真の神を知る恵み を受けました。 人間の欺きや過ちのただ中でも、神は救いの道を開かれます。 私たちの弱さは神の御計画を壊すことはできません。むしろその中で恵みはさらに明らかになります。 🙏 祈り 真理の神よ、私たちの目はしばしば状況に惑わされ、心は焦りやすい者です。しかし、あなたの御言葉は決して揺らぎません。 決断する前にあなたに尋ねる信仰を与え、失敗の中でも善を成し遂げられるあなたの御力を信頼させてください。 私たちの歩みが、あなたの契約の真実さを証しするものとなりますように。アーメン。 🔍 適用 決断を急ぐ前に、まず御言葉の前で静まってください。 自分の判断の限界を認め、祈りの中で神の知恵を求めてください。 失敗しても、神が善を成し遂げられることを信じ、再び従順の一歩を踏み出してください。 ...

神とは誰か ― 🌅 空は何を語っているのか?— 詩篇19:1、創造主なる神を最もやさしく説明することば

📖 詩篇 19:1 「 天は神の栄光を語り、 大空は御手のわざを示す。 」 🌅 空は何を語っているのか? —— 詩篇19:1、創造主なる神を最もやさしく説明することば 🧭 空を見上げるとき、心に浮かぶ問い 日本には四季があり、空と自然の美しさは本当に豊かです。 春の桜、夏の青い海、秋の紅葉、冬の静かな雪景色…。 多くの人がふとこう思います。 「この自然はどこから来たのだろう?」 「この繊細な美しさの背後には何があるのだろう?」 聖書は、その問いに答える書物です。 🌟 要点まとめ 詩篇19:1は、**自然こそ“言葉のない説教”**であると語っています。 空、星、風、波——それらは偶然でも運でもなく、 創造主なる神の痕跡 です。 このことばは、日本文化の「自然を大切にする心」を 新しい視点へと導いてくれます。 🏞 日本文化と聖書の視点 日本では、自然を「神々が宿る場所」と感じたり、 静かに眺めながら心を整える習慣があります。 しかし聖書は、自然そのものを神とは見なさず、 **「神が造られた作品」**であると言います。 空は静かですが、その静けさの中で 神の存在を語っている と聖書は宣言します。 つまり自然は、神の代わりではなく、 神へと私たちを導く**サイン(標識)**なのです。 ✨ 本文の解説 1)「天は神の栄光を語る」 “栄光”とは単なる光や奇跡ではなく、 神がどんなお方であるかを表す美しさと偉大さ を指します。 2)「大空は御手のわざを示す」 宇宙の秩序、海の境界、季節の巡り…。 すべては偶然の産物ではなく、 知恵深い創造主の設計 によるものです。 3)なぜこの一節が“福音”につながるのか? 自然を見れば見るほど、 「私はどこから来たのか?」「なぜ生きているのか?」 という根本的な問いが生まれます。 自然の美しさは、私たちを神へと招く **第一の招待状(一般啓示)**です。 しかし、人間は罪によって神を完全に知ることができません。 だから神は、 イエス・キリストを通して私たちに明確に語られました(特別啓示) 。 これこそが福音の中心であり、改革派神学が強調する啓示の構造です。 💛 適用 —— 今日、空の下に立つあなたへ 1️⃣ 空を見るとき、神の存在を思い起こしてください 今日、空を見上げてみてください。 その...

神とは誰か ― 📖 「神のかたち」とは何か?—創世記1:27が教える“人間の本当の価値”

📖 「神のかたち」とは何か?—創世記1:27が教える“人間の本当の価値” 27 神はご自分のかたちに人を創造された…(新改訳2017) ✨ 神のかたちに造られた—人間の最も深いアイデンティティ 日本では、 「私は何者なのか?」「私は何によって価値があるのか?」 そうした問いを心の奥にそっと隠して生きている人が少なくありません。 仕事の結果、人間関係の調和、周りの期待…。 その中で、自分自身を見失ってしまうこともあります。 しかし聖書は驚くべきことを語ります。 人間は偶然の産物ではなく、神ご自身の“かたち”として創造された存在である ということです。 改革派神学では、 人間の価値の根源をここに置きます。 神学者バービンクは「神のかたちは、人格・関係・使命に反映されている」と語りました。 つまり、 人は何かを成し遂げたから尊いのではなく、 神が造られたからすでに尊いのです。 ✨ 「神のかたち」に造られたという意味 聖書が語る “神のかたち(Imago Dei)” は難しい概念ではありません。 3つの視点で簡単に理解できます。 1)関係的な存在 神は三位一体—愛の関係をもつお方です。 だから人もまた、関係の中で生きるように造られました。 孤独の中で一人で抱え込んでしまう日本の若者や家庭の心を、 神は誰よりも深く見ておられます。 2)人格的な存在 愛し、考え、選ぶことができる存在。 その一つ一つが、神のかたちを映している贈り物です。 あなたの感情や悩みは、決して無意味ではありません。 3)使命を持つ存在 バービンクは、人間を「世界を管理し、良いものとするために召された存在」と説明しました。 あなたが職場で、家庭で、街の中で果たしている役割は、 小さく見えても神の目的につながっています。 ✨ 堕落の後でも、神のかたちは消えなかった 改革派神学は強調します。 人は罪によって傷つきましたが、神のかたちは完全には失われていない。 罪とは「ルール違反」ではなく、 神との関係が断たれた状態 のことです。 だから人は むなしさ、恐れ、孤独、疲れを経験します。 しかし神は、 キリストにあって壊れたかたちを回復すると約束 してくださいました。 これこそが福音の力です。 ✨ 日本宣教でこのメッセージが重要な理由 多くの未信者が心を開く瞬間は、 「自分が...

📖 ヨシュア記 9:1-15 〈 だまされない信仰、みことばに結ばれた契約 〉

📖 ヨシュア記 9:1-15 〈 だまされない信仰、みことばに結ばれた契約 〉 15 そこでヨシュアは彼らと講和を結び、彼らを生かしておくという契約を結んだ。会衆の長たちは彼らに誓った。 ✨ みことばの前で、分別を失うとき ヨシュアは連勝の後、ギブオン人が持ってきた「破れた衣服と、カビの生えたパン」を見て、彼らの嘘を信じてしまいました。 聖書はこう記しています。 「イスラエルの人々はその食物を取って、主に伺うことをしなかった」(ヨシュア 9:14) 問題の核心は「だまされたこと」ではなく、 主に伺わなかった心 そのものでした。 勝利が続くと、人は自分の判断を過信しやすく、 目の前の状況だけで判断してしまいます。 しかし神は、どんな小さなことでも みことばに照らして分別する よう私たちを招いておられます。 ✨ 契約は、軽い約束ではない ギブオン人の策略は確かに悪いものでした。 それでもヨシュアは、その契約を破りませんでした。なぜでしょうか。 契約とは、人間の失敗よりも、神の御名が重んじられる約束 だからです。 改革派神学では、 「神の契約は、私たちの失敗よりも大きい」 と説明します。 私たちはしばしば、失敗した相手を拒み、 間違った判断を悔やみながら関係を断ちたくなります。 しかし神は、みことばによって結ばれた約束を軽んじられません。 だから私たちも、たとえ失敗した状況の中でも 恵みによって回復を選ぶ道 を求められるのです。 ✨ だまされない人生とは、みことばの前に立つ人生 ヨシュアの失敗は、私たちに重要な教えを示しています。 感情や状況で判断しないこと 決断の前に必ず主に伺い、みことばで見極めること 失敗したときこそ契約を破らず、恵みで対処すること これこそが、宗教改革の中心である 「聖書のみ(Sola Scriptura)」 の生き方です。 分別は私たちの知恵からではなく、 聖霊がみことばを通してくださる光 から生まれます。 だから本当の問題は「だまされること」ではなく、 主に伺わない心 なのです。 🙏 祈り 主よ、私たちの目は常に限界があり、だまされやすい者です。 しかしあなたのみことばはいつも光であり、私たちの道を照らしてくださいます。 決断の前に、関係の前に、恐れの前に、まずあなたに伺う者...

📖 ヨシュア記 8:24-35 < みことばの前に立つ共同体、恵みによって新しくされる >

📖 ヨシュア記 8:24-35 < みことばの前に立つ共同体、恵みによって新しくされる > 35 モーセが命じたすべてのことばを、ヨシュアはひとつも省かず、イスラエルの全会衆、女、子ども、また彼らとともに住む寄留者たちの前で読み上げた。 ✨ みことばの前に、再び立ち上がる神の民 ヨシュア記8章は、アイの戦いの「勝利そのもの」よりも、その後に神がなさったことを強調しています。 戦いが終わると、イスラエルはすぐにエバル山で律法を読み上げ、神との契約を新たにしました。 勝利は目的ではなく、神の民として “みことばに従う共同体” を築くための過程にすぎません。 私たちも日々の戦いで勝利を求めますが、その後にみことばを忘れてしまうことがあります。 しかし、神が最も喜ばれるのは「勝利そのもの」ではなく、 勝った後もなお、みことばの前に立ち続ける心 なのです。 ✨ みことばは、すべての人に与えられた恵みの贈り物 本文は、男も女も子どもも、さらにイスラエルと共に住む異邦人までもが、 みことばの前に立っていた と記録しています(8:35)。 神のみことばは特定の人だけに与えられたものではなく、 すべての民族、すべての世代を抱く恵みの契約 です。 みことばを聞く共同体は、自ら変わります。 みことばは知識ではなく、 魂をいやし、人生を照らす神の生ける声 だからです。 ✨ 従順とは、負担ではなく “恵みに対する感謝の応答” エバル山でささげられた全焼のささげ物と和解のささげ物は、 「律法を守るための重荷」ではなく、 神が先に与えてくださった恵みへの応答 でした。 彼らが約束の地で最初にしたことは「勝利の祝賀」ではなく、 “みことばを中心に据え直すこと” でした。 私たちも同じです。 神の民は、みことばの前に再び立つ瞬間から新しくされていきます。 🙏 祈り みことばを与えてくださる神さま。 私たちはしばしば心が揺れ、人生の戦いの中で方向を見失ってしまいます。 しかし、みことばの前に立つとき、再び道が開かれることを感謝します。 ヨシュアとイスラエルのように、勝利の後もみことばを握りしめる共同体にしてください。 私たちの家庭、教会、そして隣人が、みことばによって新しくされますように。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン...

📖 ヨシュア記 8:10-23 < 敗北の後に再び立ち上がらせる神の救いの戦略 >

📖 ヨシュア記 8:10-23 — 敗北の後に再び立ち上がらせる神の救いの戦略 — 10  ヨシュアは翌朝早く起き、民を数え、イスラエルの長老たちと共に民の先頭に立ってアイへ上って行った。 ✨ 敗北の地から、再び始めさせてくださる神 イスラエルは一度、アイの戦いで敗北しました。 アカンの隠された罪によって共同体全体が揺らぎ、恐れと失望が満ちていました。 しかし、神は敗北で終わらせるお方ではありません。 神は再び語られ(ヨシュア8:1)、新しい戦略を与えられました。 神は罪を扱われた後に、もう一度立ち上がらせるお方です。 私たちの人生にも同じことが起こります。 心の奥にしまった罪が、家庭、職場、人間関係を揺らすことがあります。 しかし**福音は「失敗の後にもう一度始められる恵み」**を示します。 悔い改めと成長の歩みは、常に神の「やり直しの恵み」の上に立っています。 ✨ 神がくださる知恵の戦略 — 人間の力ではなく、恵みによって 今回は人間の計算や自信ではなく、 神が示された戦略 によって戦いが展開されました。 伏兵(8:12) 誘い出す作戦(8:14) 町が無防備になる状況(8:17) これらすべてが、神が備えられた救いのストーリーでした。 私たちが勝利する理由は、力ではなく「御言葉への従順」にあります。 勝利は私たちの実力の結果ではなく、神の恵みの御業です。 ✨ 隠された罪を示し、福音によって新しくされる神 聖書は罪を「神との関係が断たれた状態」と語ります。 関係が回復するとき、人生の秩序も回復します。 ヨシュア記8章は、裁きと回復が共に現れる貴重な場面です。 罪が扱われた後、神は再び共同体を立て直し、使命を回復されました。 これこそが 福音の力 です。 裁きの後に恵み、崩れた後に回復、涙の後に新しい歩み。 神は私たちを決して見捨てず、回復へと導かれます。 🙏 祈り 正しい神よ、 敗北と恐れの中でも再び立ち上がらせてくださる恵みに感謝します。 隠された罪を示し、キリストの福音によって私たちを新たにしてください。 私たちの力ではなく、御言葉に従う信仰によって歩めるよう導いてください。 倒れた場所から再び歩み始める信仰を与えてください。アーメン。 💡 今日の黙想ポイント 神は敗北の場所にさえ、救い...

📖 ヨシュア記 8:1-9 < 倒れても再び立たせてくださる神 — 従順こそ回復の道 >

📖 ヨシュア記 8:1-9  < 倒れても再び立たせてくださる神 — 従順こそ回復の道 > 1  恐れてはならない。おののいてはならない。民すべてを率いて、アイに上って行け。見よ、わたしはアイの王、その民、その町、その地をあなたの手に渡した。 ✨ 失敗の後にも、神はもう一度立ち上がらせてくださる エリコでの大勝利の直後、イスラエルは小さな町「アイ」に敗北しました。 その原因は、民の罪と不従順でした。しかし神は失敗の場所で終わらせず、 もう一度歩き出す道 を開かれます。 「恐れてはならない」という神の言葉は、 罪を認め、悔い改める者に与えられる福音の慰め です。 神は倒れた者を見捨てず、再び立たせ、新しい従順の道へ招かれます。 ✨ 従順こそ回復の第一歩 神はヨシュアに、今回の戦いの細かな戦略を示されました。 伏兵を置け。立ち上がれ。攻め上れ。 勝利は “自分の知恵” ではなく、 神の言葉に従う信仰 によって与えられます。 私たちの人生も同じです。 心が迷い、道が見えなくなる時こそ、 神の言葉に立ち返るときに道が開かれます。 ✨ 神はすでに「あなたが歩む未来」を備えておられる 神はヨシュアにこう宣言します。 「わたしはすでに渡した」— まだ戦いが始まる前に。 これは、未来を握っておられる神だけが語れる言葉です。 信仰者は、不安な状況ではなく、 神の約束 に立つ人です。 これが宗教改革で語られた “Sola Fide(オジ・ミト)=信仰のみ” の歩みです。 🙏 祈り 主よ、失敗や恐れの中でも私たちを見捨てず、もう一度立ち上がらせてくださる恵みに感謝します。 私の心を高ぶらせず、御言葉に従う従順の道を歩ませてください。 すでに未来を備えておられる主の約束を信じ、今日も信仰によって立ち上がらせてください。 アーメン。 🔍 適用 失敗や罪の重さで立ち止まっていませんか?  神の前に正直に告白し、再び立ち上がりましょう。 今日の決断を「自分基準」ではなく、 御言葉の基準 で判断してみてください。 不安な未来を眺める代わりに、神の「すでに渡した」という約束を信じて歩んでください。 💡 黙想ポイント 神は失敗の場所であなたを終わらせません。 悔...

📖 ヨシュア記 7:16-26<隠された罪が現れるとき、恵みの回復が始まる>

📖 ヨシュア記 7:16-26 <隠された罪が現れるとき、恵みの回復が始まる> 25 なぜあなたは我々を悩ませたのか。主は今日、あなたを悩まされる。 26 その上に大きな石塚が積まれ、今日に至るまで残っている。それでその場所は“アコルの谷”と呼ばれた。 ✨ 隠れた罪は共同体を崩します アカンが隠したものは、ただの「戦利品」ではありませんでした。 それは 神との契約を破る行為 であり、イスラエル全体に敗北をもたらしました。 聖書が語る「罪(つみ)」とは、単なる道徳的な失敗ではなく、 神との関係が壊れている状態 のことです。 表面は問題なくても、心の奥に隠したままの罪は、 やがて人生のいろいろな面にひび割れを生じさせます。 ✨ 神は罪をあばき、癒しへと導かれるお方です アカンの罪が明らかになった過程は、残酷な暴露ではなく、 回復へ導くための神の恵みのプロセス でした。 神は私たちを裁くためではなく、 聖なる道へと導くために 罪を照らされます。 改革派神学ではこれを 「契約の恵みの中での懲らしめであり、回復の手段」 と説明します。 隠したまま握りしめているより、 神の前に差し出し、赦しを受け取るとき、 本物の自由が始まります。 ✨ あなたへのメッセージ — 恵みによって再び立ちなさい アカンの出来事は、私たちに 福音(良い知らせ)への帰還の道 を示します。 新約聖書は言います。 「光の中を歩みなさい」(Ⅰヨハネ1:7) 律法の恐れではなく、 キリストの恵みこそが私たちを新しくします。 神が罪を明らかにされるのは、 恥を与えるためではなく、 十字架によって清め、再び立たせるため です。 🙏 祈り 聖なる神さま、 心の奥深くに隠してきた罪をご存じの主の前に出ます。 ごまかし、隠し、自分で大丈夫だと思い込んできた心を砕いてください。 律法や努力では立てません。 ただイエス・キリストの血と義により頼ませてください。 家庭と教会から隠れた罪を取り除き、 福音によって再び立つ恵みを与えてください。 アーメン。 🔍 黙想ポイント 神は罪を明らかにされますが、 目的は**裁きではなく“回復と回心”**です。 アカンのように隠すのではなく、 イエスの前にすべてを差し出す人は、 真の平安と自由を得ます。 💡 適用 ...

神とは誰か ― 🌏 創世記1:1 「はじめに、神が天と地を創造された」 — 聖書が語る “宇宙の始まり” と “人間の存在理由”

🌏 創世記1:1「はじめに、神が天と地を創造された」 — 聖書が語る “宇宙の始まり” と “人間の存在理由” 📌 【 結論の要約 】 創世記1:1は 「すべての始まりは神から」 という聖書の根本的なメッセージを宣言している。 神は自然の一部ではなく、 自然を超越して創造した人格的存在 である。 人間は偶然の産物ではなく、 目的と意図を持って造られた存在 。 この一節は「人生の意味」「存在の理由」「世界の秩序」を理解するための基盤となる。 🪐 1. はじめに — なぜ創世記1:1は重要なのか? 日本では • 神道の八百万の神々 • 仏教の世界観 • 「無宗教」的な生活スタイル が一般的で、「聖書が語る神」や「創造」という概念は馴染みが薄いかもしれません。 しかし、聖書の最初の言葉はとてもシンプルでありながら深い意味を持っています。 「はじめに、神が天と地を創造された」 創世記1:1(新改訳) この一文は、宇宙の起源だけでなく、 人間の価値・人生の目的・世界の秩序 すべてに関わる重要な真理を含んでいます。 🧭 2. 「はじめに」— 時間と宇宙のスタート ヘブル語では「ベレシート(בְּרֵאשִׁית)」と書かれ、 “時間・空間・物質の始まり” を意味します。 つまり、 神は時間より先に存在していた — という驚くべき宣言です。 宇宙の誕生を説明するビッグバン理論があっても、 「誰が」「なぜ」始めたのかは説明できません。 聖書はその根源に 意図を持つ創造主 を置いています。 ✨ 3. 「神が」— 聖書が語る“神”はどんな存在? 創世記1:1の「神」は エロヒム(Elohim) と呼ばれます。 特徴: 威厳と力を表す語 単なる自然霊ではない 人格を持ち、意図を持つ存在 ✔ 日本の「自然の中に宿る神々」とは本質的に異なります。 ✔ 聖書の神は自然の一部ではなく、 自然そのものを超越して創造したお方 です。 🌍 4. 「天と地を創造された」— 無からの創造 「創造された」に使われるヘブル語 バラー(בָּרָא) は、 人間が行う “制作” とは異なり、 無(ゼロ)から造り出す という意味です。 偶然ではない 進化や自然発生ではない 目的と知恵を持った創造行為 ...

📖 ヨシュア記 7:1-15 〈 隠された罪をあばかれる神、回復を開かれる福音の恵み 〉

📖 ヨシュア記 7:1-15  〈 隠された罪をあばかれる神、回復を開かれる福音の恵み 〉 11 イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、また彼らは、聖絶のためにささげられた物を取って盗み、欺き、その物を自分たちの持ち物の中に入れた。 12 それゆえイスラエルの子らは敵の前に立ち向かうことができず、彼らの前から逃げ去った。彼ら自身が聖絶のものとなったからである。もしあなたがたの中からその聖絶のものを取り除かないなら、わたしは、もはやあなたがたとともにいない。 ✨ 隠された罪をあばかれる神 アイの戦いでの敗北は、戦術の問題ではありませんでした。 アカンの隠された罪が、共同体全体を崩壊させたのです。 神は「わたしは、あなたがたとともにいない」(12節) と語られ、 罪が主の臨在を妨げることをはっきり示されました。 私たちの人生にも、見えない小さな罪、「これくらい大丈夫だろう」という心が、 霊的な敗北を招くことがあります。 しかし神が罪をあばかれるのは、 裁くためではなく、回復のため です。 律法は私たちを絶望させるためではなく、 キリストのもとへ逃れるように導く鏡 なのです。 ✨ 聖さを回復へと導く神のことば 神はヨシュアに、「民を聖別せよ」(13節) と命じられました。 罪を自ら告白し、再び神の前に立つためです。 これは、人間の良心や律法が罪を認めさせる働きと似ています。 しかし、良心も律法も完全な解決を与えることはできません。 真の聖さは、キリストの贖いによってのみ与えられる のです。 ✨ さばきの場に現れる福音の光 アカンの罪は、共同体全体に痛みをもたらしました。 しかし神は、その罪を示し、取り除くことで、 再びイスラエルとともに歩まれました。 さばきは終わりではなく、 恵みに立ち返るための道 です。 神のことばと聖霊は、隠れた罪を照らされますが、 その目的は滅びではなく、 福音による新しい歩みへ導くこと にあります。 🙏 祈り 聖なる神よ、 私たちの内に隠されている罪を照らされるあなたの前に、 へりくだって進み出ます。 自分では解決できない罪を告白します。 どうかキリストの血潮によって清めてください。 私たちの家庭と共同体が、 あなたの恵みの中で聖さを回復できますように。 隠すこと...

📖 ヨシュア記 6:15-27 < 崩れ落ちる城壁、築かれていく信仰 >

📖 ヨシュア記 6:15-27 < 崩れ落ちる城壁、築かれていく信仰 > 20 民がときの声をあげ、祭司たちがラッパを吹いた。民がラッパの音を聞いたとき、大声でときの声をあげると、城壁は崩れ落ちた。それで民は、それぞれまっすぐに町に攻め上り、その町を攻め取った。 ✨ 神のなさることは、私たちの計算を超えています ヨシュアとイスラエルの民は最後の日、町の周りを七度回り、ラッパを吹きました。 人間の知恵では理解できない方法でした。しかし神は、 人の力ではなく、従順を通して御力を現されました。 私たちが人生で“エリコの城壁”のように動かない問題に直面するとき、 神は「自分の力」ではなく 「神の約束を握り、従いなさい」 と招いてくださいます。 ✨ 裁きと救い――どちらも神の正しいみ手です エリコの滅びは、罪と悪に対する 神の正しい裁き が実現した出来事でした。 同時に、ラハブとその家族が救われたのは、 神の恵みのしるし でした。 ラハブは律法を知らなかったにもかかわらず、神を畏れる信仰によって救われました(ヘブル11:31)。 神は今日も、出自や背景ではなく、 キリストを信じる信仰を通して 恵みを与えてくださいます。 ✨ 神が崩される城壁、神が建てられる人生 私たちの内にも、崩されるべき“城壁”があります。 恐れ、誇り、中毒、傷、あきらめ――。 神は 御言葉に従う者を通して その城壁を崩されます。 聖霊は私たちの心を新しくし、福音は人生を再び建て直します。 それは人間の努力ではなく、 聖霊の働きによって与えられる新しい人生 です。 🙏 祈り 主よ、私の心には、まだ崩しきれていない城壁があることを告白します。 自分の知恵や力ではなく、御言葉に従って歩めるようにしてください。 ラハブに恵みを注がれたように、私にも福音の光を照らし、 キリストのうちに新しい人生を築いてください。 今日も主の力を信頼して歩ませてください。アーメン。 🔍 適用 自分の中の“エリコの城壁”は何かを記してみましょう。  恐れ、習慣的な罪、人間関係の壁…神の前で正直に告白してください。 今日、神が示される“従順の一歩”を実際に行動に移しましょう。  赦し、悔い改め、中毒からの離脱、礼拝の回復、御言葉の黙想――  一見小さくても、大き...

📖 ヨシュア記 6:1-14 〈 倒れる城壁、開かれる主の道 〉

📖 ヨシュア記 6:1-14 〈 倒れる城壁、開かれる主の道 〉 3 あなたがたすべての兵士は町のまわりを回れ。町の周囲を一日に一度、六日の間そうしなければならない。 ✨ 神は人間の方法ではなく、恵みによって道を開かれる エリコは人間の力では決して突破できない堅固な城壁でした(6:1)。しかし神は、剣でも槍でもなく、**「従順の信仰」**によってこの城壁を崩されました。イスラエルは理解できなくても、 御言葉どおりに回ること が勝利の道でした。 私たちの前にある「エリコ」(不安、人間関係の壁、経済的重荷、信仰の停滞)も、神は 従順の恵み によって打ち砕いてくださいます。 ✨ 従順とは、説明を理解することではなく、神を信頼すること 神はイスラエルに7日間エリコの城壁を回るよう命じられました。それは人間の目には非効率で、合理的ではない命令でした。しかし神はその従順の歩みを通して、イスラエルの信仰を育て、日ごとに不信と恐れを崩していかれました。 私たちにも「なぜこうしなければならないのか分からない」時があります。しかし神は、 理解よりも信仰によって歩むこと を求めておられます。 ✨ 神は、回心者を揺るがない従順の人生へと導かれる エリコを回る旅は、回心者の歩みに似ています。回心直後、すべてが一度に変わらないこともあります。 しかし御言葉の前で一歩一歩従うとき、 • 心の古い傷が崩れ、 • 習慣的な罪が揺さぶられ、 • 神がくださる自由が心に満ちていきます。 🙏 祈り 主よ、私たちのエリコを御前におゆだねします。 見えない壁を恐れず、説明がなくても従う者としてください。 恵みによって勝利を経験させてください。 自分の計画よりも御言葉を優先させ、 福音によって新しくされる従順の人生を歩ませてください。 💡 黙想ポイント 神は人間の論理ではなく、 従順の信仰 によって道を開かれます。 エリコが崩れたのは角笛の音ではなく、 神ご自身がなされたから です。 今日も福音の恵みにより頼み、主が示される道を一歩ずつ歩みましょう。 🔍 適用 • あなたの人生の「エリコの城壁」は何ですか? その問題を正直に神に告白しましょう。 • 理解できなくても、御言葉に従う一歩を今日から始めましょう。 • 回心者のように、日々御言葉...

📖 ヨシュア記 5:2-15 〈 契約の神、再び聖くしてくださる方 〉

📖 ヨシュア記 5:2-15 〈 契約の神、再び聖くしてくださる方 〉 14 するとその方は言った。「いや、わたしは今、主の軍の将として来たのだ。」 ヨシュアは地にひれ伏して礼拝し、「わが主よ、しもべに何をお話しになりますか」と言った。 ✨ 契約の民を新しくされる神 イスラエルがついにカナンの地に足を踏み入れた時、神が最初に命じられたのは「割礼」という契約のしるしの回復でした(5:2–8)。 荒野で生まれた新しい世代は割礼を受けていませんでした。つまり、 契約の民としてのアイデンティティ が曖昧になっていたのです。 神は勝利を与えられる方ですが、その前にまず 神の民を聖く区別し 、 「わたしは誰か。私はどんな民なのか。」 その根本を思い起こさせてくださいます。 これはまさに、宗教改革の中心である “恵みのみ(Sola Gratia)” を再び握る瞬間です。 ✨ 恥のくびきを取り除かれる恵み 割礼の後、神はこう言われました。 「今日、わたしはあなたがたからエジプトの恥をぬぐい去った。」(5:9) 彼らが背負ってきた失敗、不従順、恐れ、さまよいは終わりました。 神は契約の恵みによって過去の傷を覆い、新しい地を歩む新しい心を与えてくださいます。 私たちも同じです。罪や過去の失敗が心を押しつぶすことがあります。 しかし、 「キリスト・イエスにある者は、もはや罪に定められることはない」(ローマ8:1) 神は恵みによって過去の重荷を取り除き、人生を新しく建て直してくださいます。 ✨ 主の軍の将のご臨在 ― 戦いはあなたのものではない ヨシュアはエリコの前で戦略を思い巡らしていたでしょう。 しかし神は“主の軍の将”として現れ、こう告げられます。 「いや、わたしは主の軍の将として来たのだ」(5:14) つまり、この戦いの主導権はヨシュアではなく、 神ご自身 にあります。 成功も、戦いも、勝利も、すべては “ただ神の栄光のために(Soli Deo Gloria)” という真理を示しています。 私たちは従うだけでよいのです。勝利は神のものです。 🙏 祈り 聖くしてくださる神よ、私たちの過去を恵みで覆い、新しい契約の民として立たせてくださり感謝します。 自分の力で戦おうとする高ぶりを取り去ってください。 今日も主の軍の将の導きの前にひれ...

📖 ヨシュア記 4:15–5:1 〈 主が道を開かれた恵みの道、信仰によって歩む 〉

📖 ヨシュア記 4:15–5:1 〈 主が道を開かれた恵みの道、信仰によって歩む 〉 5:1  主がヨルダンの水をイスラエルの子らの前で干上がらせ、彼らを渡らせられたことを聞いて、彼らの心は溶け、イスラエルの子らのことで気を失った。 ✨ 主ご自身が道を開かれる — 恵みによって生まれる従順 イスラエルがヨルダン川を「乾いた地」として渡ったのは、彼らの力でも勇気でもなく、 主が先に渡らせてくださった恵みの御業 でした。人々は契約の箱の後をただ従い(4:3)、主が道を開かれると、その御跡を歩むだけでした。 私たちの人生の“信仰の一歩”も同じです。成功も、働きも、回復も、すべて 主が先に恵みで開かれた道 を歩んでいるのです。 ✨ 記念の石 — 恵みを忘れないための「しるし」 主はヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、記念として立てるよう命じられました(4:20–24)。 それは、神の救いを忘れないための 契約のしるし でした。 私たちも人生の中に、主がなさった御業を思い返す「恵みの石」を置くべきです。家庭の回復、守り、小さな備え、日々の導き——すべてを礼拝の中で覚え、感謝しましょう。 ✨ 諸国は恐れ、神の民は強くされる イスラエルがヨルダンを渡った知らせは周囲の国々を震え上がらせました。 「彼らの心は溶け、気を失った」(5:1)。 神が働かれるとき、世は恐れますが、 神の民はむしろ大胆にされます。 私たちの戦いは、世と戦うことではなく、 すでに成し遂げてくださった主の勝利を歩むこと です。 裁きの日にも、苦難の中でも揺るがないのは、私たちの“強い信仰”ではなく、 信仰の対象である神の確かさ のゆえです。 🙏 祈り 聖なる神よ、 私たちの力ではなく、あなたの恵みによって道を開いてくださることを感謝します。 ヨルダンを渡らせてくださったように、今日の私たちの前にある塞がれた道も開いてください。 恵みの石を立て、あなたの救いを忘れない心をお与えください。 世の恐れではなく、あなたの勝利の中で大胆に歩む者としてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。 🔍 黙想ポイント 主は、私たちが歩き出す前にすでに道を開いておられます。 だからこそ、私たちの信仰は恐れではなく、 主への信頼から始まります。 今日、...

📖 ヨシュア記 4:1-14 < 神の救いを覚えよ — 恵みを次の世代へ >

📖 ヨシュア記 4:1-14 < 神の救いを覚えよ — 恵みを次の世代へ > 10 そして、主がヨシュアに命じて民に言わせた事、すなわちモーセがヨシュアに命じた事がすべて終わるまで、箱を担ぐ祭司たちはヨルダンの真ん中に立っていた。民は急いで渡り終えた。 ✨ 神のなさったみわざを「覚える信仰」 イスラエルの民が、乾いた地のようにヨルダン川を渡った後、神は「記念の石」を立てるよう命じられました(ヨシュア 4:7)。 この石は、 主が行われた救いの恵みを忘れないためのしるし でした。 人はすぐに忘れてしまいます。恵みも、救いも、導きも薄れてしまいます。 だからこそ神は「覚えよ」と命じられました。 覚えるとき感謝がよみがえり、感謝がよみがえるとき、再び順従の歩みが始まります。 ✨ 世代を超えて語り継がれるべき神の恵み 神は記念の石の目的を明確に示されました。 「後の日に、子どもたちが尋ねるなら…主の御手が力強いことを知らせなさい」(ヨシュア 4:21-24)。 福音は一つの世代だけで終わるものではありません。 恵みは継承され、福音は次の世代の告白へと受け継がれていくものです。 私たちの救い、悔い改め、導きの証しを、家族や信徒たちが「見て、聞く」ことができるように示していきましょう。 ✨ 恵みで始まった道は、みことばによって続いていく ヨルダンを渡る瞬間は終わりではありませんでした。 その後の一歩一歩も、神のみことばに従って進む必要がありました。 同じように私たちの信仰も、「一度の感動」で終わるものではありません。 みことばに根ざした、続いていく順従の歩み が求められます。 救いも、聖化も、使命も、すべて神ご自身が成し遂げてくださいます。 🙏 祈り 主よ、ヨルダン川を乾かされたあなたを覚えます。 私が歩んできた道が恵みによるものであったことを忘れないようにしてください。 私たちの家庭と教会が、あなたの救いを次の世代に伝える者とならせてください。 記念の石のように、私の人生のあらゆる場所で、あなたのみわざが現れますように。 ただみことばと恵みにより、順従の道を歩ませてください。 🔍 黙想ポイント 神は「覚える信仰」を通して私たちの信仰を守り、次の世代を立ててくださいます。 あなたの人生に神が立ててくださった“記念の石”は何です...

📖 ヨシュア記 3:9–17 < 信仰によってヨルダンを渡れ ― 恵みから始まる従順の一歩 >

📖 ヨシュア記 3:9–17  < 信仰によってヨルダンを渡れ ― 恵みから始まる従順の一歩 > 15 ヨルダン川は刈り入れの季節にはいつも岸いっぱいにあふれていた。箱を担ぐ者たちがヨルダンに来て、主の契約の箱を担ぐ祭司たちの足が水の端に浸ると、 16 上から流れ下っていた水がせき止められ、はるか遠くのツァレタンの近くにある町アダムのあたりで一か所に積み上げられ、 塩の海であるアラバの海に向かって流れていた水は完全に断たれたので、民はエリコの前をまっすぐ渡った。 ✨ 神の臨在が先立つ信仰の道 イスラエルの民はヨルダン川の前で立ち止まりました。目の前の川は満ちあふれ、道は見えませんでした。 しかし神はモーセの時と同じように、今回も「わたしが共にいる」ことを示されました。 「契約の箱を担ぐ祭司たちがまず進みなさい。」―― 神の臨在が民より先に進むとき、川は分かれました。 これは「恵みから始まる従順の信仰」を表しています。すなわち、神がまず行われた救いの御業に対する人間の応答なのです。 ✨ 恵みの足取り、信仰の従順 ヨシュアは民に言いました。 「あなたがたは自らを聖めなさい。主は明日、あなたがたの間で不思議なわざを行われる。」(3:5) これは人間の努力ではなく、 神がなされる御業を待ち望む心の備え を意味します。 ヨルダンを渡る出来事は、人間の勇気ではなく、 神の恵みと真実さに基づく従順の決断 でした。 祭司たちの足が水際に触れるまで、何も起こりませんでした。 信仰の一歩が、恵みの奇跡を開く鍵となったのです。 ✨ すべての世代に向けた福音のしるし ヨルダンを渡った後、神はヨシュアに命じて十二の石を立てさせました。 それは「主がなされた御業を記憶せよ」という 福音の契約のしるし でした。 契約とは、神ご自身が私たちと共に歩まれるという 関係の約束 です。 この石は次の世代に、神の真実を証しする記念碑となりました。 今日、私たちの従順もまた、その石と同じです。 人々が信じがたいと思う中でも、神の御力を示す 生きた証し なのです。 🙏 祈り 恵みの神よ、ヨルダンを分けられた主をほめたたえます。 私たちの目の前に川のような障害があっても、あなたの契約の箱が先立つことを信じます。 私たちの従順が、恵みに対する感謝の応答と...