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Matthew 12:1–21 < The Lord of the Sabbath, the King of Mercy >

📖 Matthew 12:1–21  < The Lord of the Sabbath, the King of Mercy > 18 Here is my servant whom I have chosen, the one I love, in whom I delight; I will put my Spirit on him, and he will proclaim justice to the nations. ✨ The True Meaning of the Sabbath — The Lord Who Gives Life Jesus defends His disciples who picked heads of grain on the Sabbath and reveals the true purpose of the Sabbath. The Sabbath is not a rule meant to bind people, but a gift from God intended to give life. The Pharisees were bound to the form of the Law, but Jesus reveals that the heart of the Law is mercy. “For the Son of Man is Lord of the Sabbath” (Matt. 12:8). Before Jesus—God Himself who gave the Law—we must choose life, not mere formality. ✨ Christ Who Does Not Break a Bruised Reed On the Sabbath, Jesus heals a man with a withered hand. This reveals God’s heart toward one suffering person. Matthew interprets this event as the fulfillment of Isaiah’s prophecy: “A bruised reed he will not...

マタイの福音書 12:1–21 〈 安息日の主、憐れみの王 〉

📖 マタイの福音書 12:1–21  〈 安息日の主、憐れみの王 〉 18 見よ、わたしが選んだしもべ。わたしの心にかなう、わたしの愛する者。 わたしは彼の上にわたしの霊を授け、 彼は異邦人にさばきを告げ知らせる。 ✨ 安息日の真の意味―いのちを生かす主 イエスは、安息日に麦の穂を摘んで食べた弟子たちを弁護し、安息日の本来の目的を明らかにされました。 安息日は人を縛る規則ではなく、いのちを生かすために与えられた神の賜物です。 パリサイ人たちは律法の形にとらわれていましたが、イエスは律法の中心が「憐れみ」であることを示されます。 「人の子は安息日の主です」(マタイ12:8)。 律法を与えられた神ご自身であるイエスの前で、私たちは形式ではなく、いのちを選ぶべきです。 ✨ 傷んだ葦を折られないキリスト イエスは安息日に、手の萎えた人を癒されました。 それは、苦しむ一人の人に向けられた神の御心の現れです。 マタイはこの出来事を、イザヤの預言の成就として語ります。 「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない」(マタイ12:20)。 キリストは弱い者を退ける方ではなく、近づいて回復させる王です。 裁きよりも回復を先に行われる――それが神の御業のあり方です。 ✨ 律法の上に立ち、福音を完成される主 マタイの福音書12章は、律法と福音の緊張を示しますが、その結論は明確です。 律法は私たちを生かすことができず、律法を完成されたキリストだけが私たちを生かされます。 私たちは行いによってではなく、恵みによって義とされます。 安息日の主であるイエスのうちに、真の休みと回復が始まります。 🙏 祈り 憐れみ深い神よ。 規則や形式に縛られ、いのちを見失っていた私たちの目を開いてください。 安息日の主であるイエス・キリストを仰ぎ見て、律法ではなく、恵みの中にとどまらせてください。 傷ついた心と疲れた魂に、主の憐れみをもって触れてくださり、 今日も福音の中で、真の安らぎを味わわせてください。 🔍 適用 信仰の形式によって、他の人を裁いていないかを省みてください。 今日、憐れみを必要としている一人に近づき、小さな仕えを実践してみてください。 忙しさの中でも、キリストにある真の安息を味わう時間を持ってください。 💡...

Matthew 11:20–30 < The Lord Who Calls to Repentance, the Lord Who Gives Rest >

📖 Matthew 11:20–30 < The Lord Who Calls to Repentance, the Lord Who Gives Rest > 29 Take my yoke upon you and learn from me, for I am gentle and humble in heart, and you will find rest for your souls. 30 For my yoke is easy and my burden is light. ✨ Cities That Refused to Repent—Yet an Open Invitation Jesus rebuked Chorazin, Bethsaida, and Capernaum for refusing to repent despite witnessing many miracles (Matt. 11:20–24). The issue was not a lack of signs, but hardened hearts. To remain unrepentant while standing so close to grace is a serious warning of judgment. Yet these stern words do not end in condemnation. They conclude with an unexpected invitation—an open call to turn back and come to Him. ✨ Hidden from the Wise, Revealed to Little Children Jesus praises the Father’s will: “You have hidden these things from the wise and learned, and revealed them to little children” (Matt. 11:25). This is a warning against self-righteous confidence. Repentance begins with surrenderi...

マタイの福音書 11:20–30 〈 悔い改めを招かれる主、安らぎを与えられる主 〉

📖 マタイの福音書 11:20–30 〈 悔い改めを招かれる主、安らぎを与えられる主 〉 29 わたしは心が柔和で、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。 30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 ✨ 悔い改めを拒んだ町々、しかし開かれた招き イエスは、多くの力あるみわざを見ながらも悔い改めなかったコラジン、ベツサイダ、カペナウムを責められました(マタ11:20–24)。問題は奇跡の不足ではなく、心のかたくなさでした。恵みを身近にしながらも立ち返らない態度は、さばきの警告となります。しかし、この厳しいことばの終わりには、思いがけない招きがあります。主は、定罪で終わらせず、「立ち返って来なさい」と呼びかけておられます。 ✨ 知恵ある者から隠され、幼子に示される イエスは父なる神のみこころをほめたたえられました。「知恵ある者、賢い者からは隠して、幼子たちに現してくださいました」(マタ11:25)。これは、自分の義に頼る心への警告です。悔い改めは、自分の力を手放すことから始まります。神の前に、幼子のように空の手で立つ者に、福音は明らかにされます。 ✨ 重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい 律法の重さ、達成への圧力、宗教的形式による疲れの中で、イエスははっきりと語られます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ11:28)。この安らぎは逃避ではなく、関係の回復です。イエスのくびきは抑圧ではなく、恵みの秩序です。主のくびきは軽く、主の荷は愛によって負わされます。 ✨ 柔和でへりくだった主から学ぶ人生 イエスは、私たちに自分を証明せよとは言われません。「わたしから学びなさい」と言われます。福音とは、私たちが何を成し遂げるかではなく、キリストがすでに成し遂げられたことにあずかる道です。ですから、まことの安らぎは、信仰によってただちに与えられる賜物です。 🙏 祈り 柔和でへりくだった主よ、悔い改めを先延ばしにしてきた私たちのかたくなさをお赦しください。自分の義という重荷を下ろし、主のくびきを負わせてください。労苦と心配で疲れた私たちの心に、福音の安らぎを注ぎ、今日もキリストにあって、まこと...

Matthew 11:1–19 〈 The Light of Grace Shining on a Shaken Faith 〉

📖 Matthew 11:1–19 〈 The Light of Grace Shining on a Shaken Faith 〉 19 The Son of Man came eating and drinking, and they say, “Here is a glutton and a drunkard, a friend of tax collectors and sinners.” But wisdom is proved right by her deeds. ✨ Jesus Comes Even to the Place of Doubt From prison, John the Baptist sent word to Jesus, asking, “Are you the one who is to come, or should we expect someone else?” (Matthew 11:3) Even John, who had first testified about the Messiah, was shaken. In the face of suffering, faith is tested. Yet Jesus does not rebuke him. Instead, He points to His works. The blind receive sight, the lame walk, and the good news is preached to the poor. This reveals that the foundation of faith lies in the saving work of Jesus Himself. ✨ A Messiah Who Did Not Match Expectations People expected a powerful judge, but Jesus came as a gentle Savior. Because of this difference, many stumbled. Yet God’s work is always deeper than our calculations. Salvation rev...

マタイの福音書 11:1–19 〈 揺れる信仰の上に差し込む恵みの光 〉

📖 マタイの福音書 11:1–19 〈 揺れる信仰の上に差し込む恵みの光 〉 19 人の子が来て、食べたり飲んだりすると、 「見よ、食いしん坊で大酒飲みだ。 取税人や罪人の仲間だ」と言われた。 しかし、 知恵はその働きによって正しいと証明される。 ✨ 疑いのただ中にも来てくださるイエス 洗礼者ヨハネは、牢の中からイエスに尋ねました。 「おいでになるはずの方は、あなたなのですか。」(マタイ11:3) メシアを最初に証ししたヨハネでさえ、揺れ動きました。 苦難の現実の前で、信仰は試されます。 しかしイエスは彼を責めることなく、ご自身の働きを示されます。 病人は癒やされ、貧しい者に福音が宣べ伝えられる。 それは、 信仰の根拠が、イエスご自身の救いの御業にある ことを明らかにしています。 ✨ 期待とは異なるメシアの姿 人々は力ある裁き主を期待していました。 しかしイエスは、柔和な救い主として来られました。 その違いゆえに、多くの人がつまずいたのです。 けれども、神の御業は、常に私たちの計算よりも深いのです。 十字架によって示された救いは弱く見えますが、 そこには 神の知恵 が隠されています。 信仰とは、理解できないときにも、 みことばに自分自身を委ねること です。 ✨ 拒絶の中でも現される神の知恵 イエスは、この世代を「市場の子どもたち」にたとえられました。 何をしても満足しない心です。 悔い改めを語ったヨハネも、 恵みの食卓を開いたイエスも、拒まれました。 しかし、人の評価に関わらず、 神の知恵は、ついに正しいと証明されます。 福音は、人の意思ではなく、 神の主権的な恵みによって働く のです。 🙏 祈り 恵み深い神よ。 私たちの信仰が揺れるときにも、 変わることなく働かれる主を信頼させてください。 イエス・キリストを最後まで握りしめ、 理解よりも従順によって応答する信仰を与えてください。 疑いのただ中にあっても、福音の光を見させ、 神の知恵を信頼させてください。 🔍 適用 ・ 今、あなたの信仰を揺さぶっている現実は何でしょうか。主の前に正直に祈りましょう。 ・ 期待とは違う方法で働かれる神を認め、みことばに従ってみましょう。 ・ 人の評価ではなく、神のまなざしを握り、福音...

Matthew 10:34–42 < The Gospel Leads Us Through Conflict to True Life >

📖 Matthew 10:34–42 < The Gospel Leads Us Through Conflict to True Life > 42 And if anyone gives even a cup of cold water to one of these little ones because he is my disciple, truly I tell you, that person will certainly not lose their reward. ✨ Jesus Said He Came Not to Bring Peace, but a Sword Jesus says, “Do not suppose that I have come to bring peace to the earth.” This does not mean violence. It means that when the gospel enters our lives, it disrupts our deepest relationships and values. When family, success, or approval once stood at the center of our lives, and Jesus takes His rightful place as Lord, conflict inevitably arises. Yet this conflict is not destruction—it is a reordering of allegiance . It is the holy tension that occurs when the true Master takes His place. ✨ Take Up Your Cross and Follow Me Jesus says, “Whoever does not take up their cross and follow me is not worthy of me.” The cross signifies the end of a self-centered life. The gospel does ...

マタイの福音書 10:34–42 〈 福音は葛藤を通り、まことのいのちへと導く 〉

📖 マタイの福音書 10:34–42 〈 福音は葛藤を通り、まことのいのちへと導く 〉 42 また、だれでも、弟子の名のゆえに、この小さい者たちの一人に、冷たい水一杯でも与えるなら、まことに、あなたがたに言います。その人は決して報いを失うことがありません。 ✨ 「平和ではなく、剣をもたらすために来た」と語られたイエス イエスは、「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思ってはなりません」と言われました。 これは暴力を意味する言葉ではありません。福音が入るとき、私たちの最も深い関係や価値観が揺さぶられるからです。 家族、成功、承認が人生の中心だったところに、イエスが主として立たれるとき、葛藤が生じます。 しかし、この葛藤は破壊ではなく、 秩序の転換 です。主人が変わるときに生まれる、聖なる緊張なのです。 ✨ 自分の十字架を負って従いなさい イエスは、「自分の十字架を負ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われます。 十字架とは、自己中心的な生き方の終わりを意味します。 福音は、私たちをより楽にするためのものではなく、 より明確にするためのもの です。 何のために生きるのかがはっきりするとき、人生は初めて自由になります。 ✨ 失う者が、得る 「自分のいのちを得ようとする者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを得る。」 これが福音の逆説です。 世は「握りしめよ」と言いますが、イエスは「手放しなさい」と言われます。 しかし、その手放しの先にあるのは空しさではなく、 まことのいのち です。 これこそが恵みの道であり、信仰の道です。 ✨ 小さな従順も、決して無駄にはならない 冷たい水一杯。とても小さなことに見えます。 しかし、イエスはそれを覚えておられます。 大きな決断だけでなく、小さな愛や隠れた奉仕も、神の国では報いとされます。 福音は壮大な英雄物語ではなく、 日常の従順によって証しされるもの です。 🙏 祈り 主よ、福音の前で妥協しない者としてください。 葛藤を恐れるのではなく、主に従う喜びを選ばせてください。 十字架を負う道こそ、いのちの道であると信じさせてください。 また、小さな従順にも忠実な弟子として生きさせてください。 🔍 適用 イエスよりも先に置いているものがないか、点検してみ...

Matthew 10:16–33 < Courageous Witnesses Shining in the Midst of Fear >

📖 Matthew 10:16–33  < Courageous Witnesses Shining in the Midst of Fear > 32 Whoever acknowledges me before others, I will also acknowledge before my Father in heaven. ✨ Sent as Sheep Among Wolves Jesus sends out His disciples with a clear warning: “I am sending you out like sheep among wolves” (Matthew 10:16). Following the gospel is not choosing the safe path. The world is not always friendly toward the message of Christ. Yet Jesus does not call His disciples to fear, but to wisdom and purity . To be “wise as serpents and innocent as doves” is a call to live without losing the essence of the gospel. ✨ Do Not Be Afraid of People Jesus repeatedly says, “Do not be afraid” (Matthew 10:26, 28, 31). What disciples are to fear is not human judgment or persecution, but how they live before God . People may kill the body, but they cannot touch the soul. Our lives are not in the hands of the world, but under God’s sovereign rule. Not even a sparrow falls to the ground a...

マタイの福音書 10:16–33 <恐れの中で輝く、勇敢な証人>

📖 マタイの福音書 10:16–33  <恐れの中で輝く、勇敢な証人> 32 ですから、だれでも人の前でわたしを認める者は、わたしも天におられるわたしの父の前でその人を認めます。 ✨ 狼の中に遣わされる羊として イエスは弟子たちを遣わすにあたり、はっきりと語られました。 「わたしは、あなたがたを羊を狼の中に送るようにして遣わします」(マタイ10:16)。 福音に従う道は、決して安全な道ではありません。 この世は常に福音に好意的であるとは限りません。 しかしイエスは、恐れではなく 知恵と純粋さ を求められました。 「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」という言葉は、 福音の本質を失わずに生きるようにとの召しです。 ✨ 人を恐れてはならない イエスは繰り返し、「恐れてはならない」と語られました(マタイ10:26、28、31)。 弟子たちが恐れるべきなのは、人の評価や迫害ではなく、 神の御前で生きること です。 人は体を殺すことはできても、たましいを支配することはできません。 私たちの人生は世の手の中にあるのではなく、神の主権の中にあります。 一羽の雀でさえ、神の許しなしには地に落ちません。 まして神の子である私たちは、どれほど尊い存在でしょうか。 ✨ 隠さず、明らかにせよ イエスはこう言われました。 「わたしが暗闇であなたがたに話したことを、明るみで言いなさい」(マタイ10:27)。 福音は、世の中で 告白される信仰 です。 信仰は沈黙によって証明されるものではありません。 時には損をし、誤解され、人間関係の緊張を受け入れなければならないこともあります。 それでもイエスは明確に約束されました。 人の前で主を告白する者を、主ご自身が神の御前で告白してくださるのです。 ✨ 十字架を負う人生、しかし失われないいのち イエスは、ご自分よりも家族を愛する者はふさわしくないと言われました(マタイ10:37)。 これは家族を憎めという命令ではなく、 人生の最優先がどこにあるのか を問う言葉です。 福音は、私たちの人間関係の秩序を新しくします。 自分のいのちを得ようとする者は失い、 イエスのためにいのちを失う者は、真のいのちを得るのです。 それは一見損のように見えますが、神の国の視点では、最も確かな益です。 🙏 祈り...

Matthew 10:1–15 < A Life Sent by the Gospel, A Mission Sustained by Grace >

📖 Matthew 10:1–15 < A Life Sent by the Gospel, A Mission Sustained by Grace > 15 Truly I tell you, it will be more bearable for Sodom and Gomorrah on the day of judgment than for that town. ✨ Authority does not come from our ability, but from the Lord’s calling Jesus called His twelve disciples to Him and gave them authority to drive out impure spirits and to heal every disease and sickness (Matthew 10:1). This authority did not originate from human competence, but from grace freely given by the One who first called them. The disciples were sent not because they were ready, but so that they might be transformed through obedience. The same is true for us today. Mission always begins with God’s grace. ✨ The gospel is proclaimed not by calculation, but by complete dependence Jesus instructed His disciples to take no gold, no bag, and no extra clothes for the journey (Matthew 10:9–10). This was not a call to irresponsibility, but an invitation to radical trust. Those who pr...

マタイの福音書 10:1–15 〈 福音によって遣わされる人生、恵みによって立つ使命 〉

📖 マタイの福音書 10:1–15 〈 福音によって遣わされる人生、恵みによって立つ使命 〉  15 わたしはあなたがたに、まことに言います。さばきの日には、ソドムとゴモラの地のほうが、その町よりも耐えやすいのです。 ✨ 権威は私たちの能力ではなく、主の召しから与えられます イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊を追い出し、あらゆる病や弱さを癒やす権威をお与えになりました(マタイ10:1)。 この権威は、人間の力量から出たものではなく、主が先に召し、委ねてくださった恵みの賜物です。弟子たちは、変えられるために召され、そして遣わされました。 これは今日の私たちにも同じです。使命は、いつも神の恵みから始まります。 ✨ 福音は計算ではなく、全的な信頼によって伝えられます イエスは旅に出る弟子たちに、金や袋、替えの衣を持たないよう命じられました(マタイ10:9–10)。 これは無責任になれという意味ではなく、神への全面的な信頼を学べ、という招きです。 福音を伝える者は、自分の準備を誇るのではなく、神の備えを信じて歩みます。「恵みのみ(Sola Gratia)」は、宣教の現場で最も鮮明に現れます。 私たちは、握りしめて進む者ではなく、委ねて進む者です。 ✨ 福音は歓迎されることも、拒まれることもあります イエスは、福音を受け入れない町や家があれば、足のちりを払い落としなさいと命じられました(マタイ10:14)。 福音の結果は、私たちの責任ではありません。回心は聖霊の御業であり、私たちは忠実に証しする使命を与えられているだけです。 拒まれたとき、落胆しないでください。さばきと救いは、神の義と主権のもとにあります。 私たちは裁く者ではなく、証人として召されています。 ✨ 遣わされた人生は、すでに恵みの中に立っています マタイの福音書10章は、使命の重さよりも、まず恵みの土台を示しています。 弟子たちは遣わされる前に、すでにイエスと共にいました。今日の私たちも同じです。 福音を語る前に、まず福音によって生きなさい。 恐れではなく確信をもって、重荷ではなく感謝をもって、主の召しに応答しなさい。 🙏 祈り 恵みの主よ。私たちを先に召し、そして遣わしてくださる神を賛美します。 弱さと足りなさをご存じの上で、福音の使...

Matthew 9:27–38 〈 The Lord Who Sees with Compassion, Calling Workers for the Harvest 〉

📖 Matthew 9:27–38  〈 The Lord Who Sees with Compassion, Calling Workers for the Harvest 〉 38 Ask the Lord of the harvest, therefore, to send out workers into his harvest field. ✨ “Son of David, have mercy on us!” Two blind men followed Jesus, crying out, “Son of David, have mercy on us!” Though they could not see, they saw who Jesus truly was . Jesus asked them, “Do you believe that I am able to do this?” Healing is not first a matter of power, but a matter of who we believe Jesus to be . Faith is a whole-person trust that clings to the Lord. ✨ “According to your faith let it be done to you” Jesus touched their eyes and said, “According to your faith let it be done to you.” Here, faith is not a human achievement, but empty hands receiving grace . Jesus draws near with compassion, and healing is given as the fruit of that compassion. Yet Jesus sternly warned them, “See that no one knows about this.” Because miracles are not the goal. Signs are meant to lead us to the...

マタイの福音書 9:27–38 〈 憐れみをもってご覧になる主、収穫の働き手を遣わされる 〉

📖 マタイの福音書 9:27–38  〈 憐れみをもってご覧になる主、収穫の働き手を遣わされる 〉 38 だから、収穫の主に願いなさい。 収穫のために働き手を送ってくださるように、と。 ✨「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」 イエスに従ってきた二人の盲人は、切なる声で叫びました。 「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください。」 彼らは目が見えませんでしたが、 イエスがだれであるかは見えていました 。 イエスは彼らに言われます。 「わたしに、それができると信じているのか。」 癒やしは、能力の問題ではなく、 イエスをだれと信じるか の問題です。 信仰とは、主にすがる 全人格的な信頼 です。 ✨「あなたがたの信仰どおりになるように」 イエスは彼らの目に触れて言われました。 「あなたがたの信仰どおりになるように。」 ここでの信仰とは、功績ではなく、 恵みを受け取る空の手 です。 イエスは憐れみをもって近づかれ、癒やしはその憐れみの実として与えられます。 しかし主は、 「だれにも知らせてはならない」と厳しく命じられました。 奇跡そのものが目的ではないからです。 しるしは、常に福音へと私たちを導くもの なのです。 ✨ 憐れみをもつ羊飼いの御心 イエスは病を癒やし、悪霊を追い出されただけでなく、 群衆をご覧になって 深く憐れまれました 。 彼らが、羊飼いのいない羊のようであったからです。 主のまなざしは、個人の問題を超えて、 共同体の状態 に向けられています。 ここでイエスは方法論を語られません。 まず、 祈ること を命じられます。 「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫の主に、働き手を送ってくださるよう祈りなさい。」 働き手は、人の計画ではなく、 神の召しによって立てられる のです。 ✨ 恵みによって見、恵みによって遣わされる マタイの福音書9章は、 癒やしと宣教を一つに結びつけています 。 憐れみによって癒やされた者は、再び 憐れみの通路 として召されます。 私たちが福音を伝える理由は、優越感ではありません。 恵みによって負債を負う者 とされたからです。 教会は観客席ではありません。 主の御心を抱き、世へと遣わされる共同体です。 🙏 祈り 憐れみの主よ、私たちの目を開いてください。 この世を、さばきの目では...

Matthew 9:14–26 〈 New Wine in New Wineskins, the Gospel That Conquers Death 〉

📖 Matthew 9:14–26  〈 New Wine in New Wineskins, the Gospel That Conquers Death 〉 26 News of this spread through all that region. ✨ The Question of Fasting — Revealing the Heart’s Center The disciples of John came to Jesus and asked, “Why do we and the Pharisees fast often, but your disciples do not fast?” Jesus answered them with the image of a wedding feast. As long as the bridegroom is with them, it is not a time for mourning, but for joy. This teaches us that faith is not centered on religious forms, but on Jesus Christ Himself . Spiritual zeal matters, but when that zeal obscures Christ, it can end up hiding the gospel rather than revealing it. ✨ New Wine Must Be Poured into New Wineskins Jesus teaches that new wine must not be poured into old wineskins. The gospel is the power of God that renews our hearts and our entire lives. Human effort or familiar religious habits cannot contain this gospel. Conversion is not merely an outward change, but a reorientation of the...

マタイの福音書 9:14–26 〈 新しいぶどう酒は新しい皮袋に、死に打ち勝つ福音 〉

📖 マタイの福音書 9:14–26  〈 新しいぶどう酒は新しい皮袋に、死に打ち勝つ福音 〉 26 そのうわさは、その地方全体に広まった。 ✨ 断食をめぐる論争 ― 心の中心が明らかにされる ヨハネの弟子たちはイエスに尋ねました。 「なぜ私たちとパリサイ人は断食をするのに、あなたの弟子たちはしないのですか。」 イエスは婚礼のたとえで答えられます。 花婿が一緒にいる間は、悲しむ時ではなく、喜ぶ時だというのです。 これは、信仰の形式よりも、 イエス・キリストご自身が中心である ことを示す御言葉です。 信仰の熱心さは大切ですが、その熱心さがキリストを隠してしまうなら、かえって福音を覆い隠してしまいます。 ✨ 新しいぶどう酒は新しい皮袋に イエスは、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れてはならないと言われました。 福音とは、心と人生のすべてを新しくされる 神の力 です。 人間の功績や慣れ親しんだ習慣では、この福音を受け止めることはできません。 回心とは、外見が変わることではなく、 心の向きが変えられる出来事 です。 それが、恵みによって始まる新しいいのちです。 ✨ 死を越えて差し伸べられるイエスの御手 会堂司の娘はすでに死に、長血を患う女は長年苦しんでいました。 しかしイエスは、その絶望のただ中へと踏み込まれます。 イエスは手を取って起こし、 「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されます。 ここで言う信仰とは、何かを成し遂げる力ではなく、 イエスによりすがって進み出る、空の手 です。 死でさえも、主の前では終わりではありません。 ✨ 公義と憐れみが出会う場所 マタイの福音書9章は、神の公義が憐れみのうちに完成される場面を示しています。 イエスは、罪と死の現実を無視されません。 むしろ、そのすべてを十字架において負われるお方です。 福音は私たちを罪に定めるのではなく、 新しいいのちへと招きます。 それゆえ、キリストにある者にとって、さばきは回復の始まりです。 🙏 祈り 主よ、形式と習慣に安住している私たちの心を打ち砕いてください。 新しいぶどう酒である福音を、古い考えに閉じ込めることがないように。 御霊によって、私たちを新しい皮袋としてください。 絶望の中でも、主の御手を握ることができますように。 信仰によって、いのちを生きる者とし...